ストレスは人間を大きく変えてしまう病原菌なのです。
村田の焚き付けによって、ストレスを支えていた壁が崩壊しサイコパスに火が付きました。
信之はこうして凶行に及んでいきました。
自殺をしたのは狂気?
最後に信之は自殺をしてしまいますが、これは彼の狂気がなせる業だったのでしょうか。
自殺をするとき、人は普通の精神状態ではないといわれています。
当然、信之もサイコパスな自分が自殺を促していたのは間違いありません。
しかし、深読みすると彼の狂気の中に時々まともな心が見えかくれしています。
もしかしたら、自殺は自分のやりたいことのひとつだったのかもしれません。
罪を犯し続け、衝動を止められない自分……。
そんな自分を殺さなくてはいけないという、もう一人の自分がいたのかもしれません。
村田に手をかけた信之の行動
この時、信之は妙子を殺そうと思えば出来たはずです。
やりたいことが残っていたから戻った
しかし殺さなかったのは、残された信之のやりたいことリストがあったからではないでしょうか。
「やりたかったこと」をやり遂げていない信之は、家族へ威厳ある態度を見せていきます。
それは少々行き過ぎた行為でもあります。
信之が思い描く家族の姿、しかしそこに目覚めたばかりのサイコパスが邪魔をするのです。
それが彼の暴力性となって表れています。
最後に妙子を殺したわけ
ラストで信之は妙子を殺害しますが、計画的な物ではありません。
この時点で彼は人を殺すことをなんとも感じていないはずです。
ただ欲望に沿って、やりたいことをやっているだけでしょう。
もしこの時、妙子が走り寄ってこなければ、彼女は死なずに済んだことでしょう。
信之は走り寄ってきた妙子の姿を見て、やはり殺したいと思いついたのではないでしょうか。
映画の元となった事件
映画は実施に起きた猟奇的殺人を基に描かれています。
埼玉愛犬家連続殺人事件
事件が実際に起きたのは1993年、埼玉県熊谷市周辺で猟奇的な殺人が繰り返されました。
遺体は店の役員山崎永幸方の風呂場でバラバラにされた上、骨はドラム缶で焼却された。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/埼玉愛犬家連続殺人事件
映画同様にトラブルのあった顧客を次々と殺害しています。
犯人は映画同様夫婦で犯行に及んでおり、なぜ彼らが二人ともサイコパスだったのか疑問が残りました。
そして、この殺人の代名詞ともなったのが「遺体なき殺人」です。
映画にまで影響を与えた『殺人哲学』
死体(ボディ)を透明にすることが一番大事
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/埼玉愛犬家連続殺人事件
上記は殺人犯の一人である関根元の残した言葉です。
このセリフは劇中でも使用されていました。
証拠を残さなければ捕まらないという犯人の哲学ですが、まさにサイコパスの特徴が現れています。