カトリーヌの笑顔は、愛情に恨みに心配にと、これまでのロベールへのあらゆる感情を押し隠す表情だったのでした。
すべては命ありき
ロベールが拘束されたのを聞き、とある変化がカトリーヌの中で起こります。
それは「すべては命ありきであり、死んだら終わり」だという強い認識です。
散々ロベールは楽しんで好き勝手もして生きてきました。
カトリーヌもそうして好き勝手に生きてもいいのだと気づいたのです。
原題はひとつの意味で本当に良い?
日本語では「パリのめぐり逢い」、英語では「Live for life」といわれるこの作品の原題は「Vivre pour vivre」です。
よく「生きるために生きる」と訳されますが、本当にそれだけの意味で良いのでしょうか。
徹底的に考察します。
Vivreの単語的な意味
英語のLiveと同等に扱われるVivreですが、この単語には生きるの他にも暮らす、体験するなどの意味があります。
名詞では、不可算名詞で生命、可算名詞で生活などを表すLifeとそう変わりありません。
Pourの単語的な意味
Pourは接続語で、英訳では「for」とされていますが、pourのもつ意味としては「as」の方が近く、~のために、~のように、~のときに、~によって、など多種多様な意味をもちます。
合わせてみると…
単語として考えると、英訳するにも「Live as life」の方が向いているような気がします。
ただし英語にこんな表現はありません。
なので時系列を追って「Vivre pour vivre」自体の意味を考えることにいたしましょう。
まず冒頭、淡々と暮らしていたシーンでは「生活するために暮らす」。
共同生活を送るために不満もなくスリルもないカトリーヌの生き方にはぴったりです。
そしてロベールの浮気、キャンディスの喜びに、浮気を打ち明けられ悲嘆に暮れるカトリーヌの中盤のシーンでは「体験する手段として生きる」。
生きていれば様々なことを体験します。
ここでは3者3様に様々な体験をし、様々な感情を抱いていますから、これもぴったりです。
そして最後のシーンでは、「人生のために生きる」。
自由を散々謳歌して捕まったロベールはたくさんのことを体験したでしょう。
それと同様に、カトリーヌも「自分の人生のために」生きていいと気づき、自分の気の向くままに行動します。
そして一度は拒絶したロベールに、愛情の向くままに笑いかけるのです。
ただ自分の人生を生きようと決意した、心からの微笑でした。
終わりに
こうして考えると、「Vivre pour vivre」という作品名はカトリーヌ視点で付けられているように感じます。
主人公はロベールだとしても、その生き様を見た周りの人間の変化と、時代の変動期にも関わらず生きる軸をきちんともつことの重要性を、クロード・ルルーシュ監督はじめ撮影者一同は訴えたかったのではないでしょうか。