出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FFDHPFK/?tag=cinema-notes-22
1996年公開のオーストラリア映画『シャイン』は実在するピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を綴った映画です。
厳格な父親はなぜ死の直前に姿を見せ和解を申し込んだのでしょう。
最後まで父親を許せなかったデイヴィッドの胸のうちにも迫ります。
父親はなぜ和解を求め姿を見せたのか
父親ピーターは死の直前、再びデイヴィッドの前に姿を現しました。
死を前にしたピーターはデイヴィッドに何を伝えようとしていたのでしょうか。
最後に息子の顔をみたかった
死期が近づいたとき、人は何を思うのか……。
やはり自分の親や子供のことではないでしょうか。
いくら憎みあっていても会いたくなるものです。
まして父親ピーターはデイヴィッドを憎んでいたわけではありません。
愛情がゆがんだ形で表に出てしまっただけだったのです。
自分の死期が近い事を感じた父親は、息子のピアノが聞きたくなったのかも知れません。
自分の非を感じたから
息子デイヴィッドと離れ、父親自身も様々な経験をしたことでしょう。
オーストラリアに戻ったデイヴィッドが電話をかけた時も、病気のことを甘く見ていたかもしれません。
男子ならひとりで乗り終えるべきだと考えていたでしょう。
ピーター自身厳しい父親に育てられているので、息子にも厳しい父親でいたのです。
しかし、デイヴィッドの噂を聞きワイン・バーに姿を現したときは、以前の自分の態度を恥じていたのではないでしょうか。
取り返せない時間、ピーターはデイヴィッドに許してもらいたかったのかもしれません。
愛していることを伝えたかった
デイヴィッドがコンクールで優勝したときのメダルを渡したピーターは、自分の本心を息子に伝えます。
彼は不器用に息子デイヴィッドを愛していたのです。
許してもらえないことはわかっていたのかもしれません。
ただデイヴィッドに愛しているということを伝えたかっただけなのでしょう。
お休み、父さん…
引用:シャイン/配給会社:KUZUIエンタープライズ
静かにささやくデイヴィッドに、立ち去るピーターの後ろ姿はとても寂しげでした。