実在する人物シュピルマンとホーゼンフェルトのその後の人生はどのようなものだったのでしょう。
ドイツ軍人ホーゼンフェルト
狂気の中にあっても人間としての心を失わなかったホーゼンフェルトは、戦後に戦犯収容所に捕らえられ、悲劇的な死を遂げています。
1945年1月にソ連軍の捕虜となり諜報部員だったという容疑で拷問を受けます。この時多くのユダヤ人が彼を弁護したそうです。
しかしソ連軍はその訴えを受けつけず、ホーゼンフェルトは強制労働を強いられます。
拷問と強制労働を強いられ精神異常や脳卒中も起こしました。最後は戦犯捕虜収容所で亡くなり7年の捕虜生活に幕を閉じました。
ホーゼンフェルトは英雄になった
悲劇の死を遂げたホーゼンフェルトですが、生前の行いに対して2007年にポーランド政府からポーランド復興勲章が授与されました。
また続く2009年にはイスラエル政府からは、ホロコーストから命がけでユダヤ人を守った英雄を意味する「正義の異邦人」の名を追贈されました。
更に、シュピルマンとの出会いの場所であるワルシャワには記念銘板が建てられています。
主人公シュピルマンのその後の人生
戦争を生き延びたシュピルマンはその後もピアニストとして活躍します。
ワルシャワを離れることなく、作曲を続けました。
息子さんの話では、きちんと水分をとるように注意しても、水を飲めずに逝った仲間を思うと水を飲むのも辛いと語っていたそうです。
やはり戦争で負った心の傷は深かったのでしょう。
土葬が一般的な国葬ですが、シュピルマンは自分の家族が燃やされたことを理由に火葬を望み、家族はその意思を尊重し2000年7月に息を引き取った彼は火葬されました。
ホーゼンフェルトを救えなかったのは名前を知らなかった為
劇中、シュピルマンは自分を救ってくれたホーゼンフェルトを救うことは出来ませんでした。
おそらくそれは、当時シュピルマンは助けてくれたドイツ人将校(ホーゼンフェルト)の名を知らなかった為と考えられます。
戦場のピアニストの続編が存在する
名作「戦場のピアニスト」には実は続編が存在します。
それは「シュピルマンの時計」という本で筆者はシュピルマンの実の息子であるクリストファー・ヴワディスワフ・アントニ・スピルマンです。
彼は福岡在住で、妻は歴史学者の日本人なのです。彼自身日本語にたけ「シュピルマンの時計」は日本語で執筆されています。
劇中で時計をだまし取られるシーンがありますが、シュピルマンは後世時計に執着を示し、沢山所持して大切にしていたそうです。
シュピルマンについてもっと詳しく知りたい方は、一度読んでみると映画が更に楽しめるのではないでしょうか。
戦争の現実を知る為の映画
戦争映画というと、悲惨でどうしようもない人生を嘆くものが多いものです。戦争は馬鹿げていると後の余に伝えていく為です。
「戦場のピアニスト」は、戦争による人の狂気や残忍さをしっかり映像化しただけでなく、対比的に人の持つ誇りや尊厳、そして人としての思いやりを描いています。
人と人が向き合えば、敵や味方など意味のないものなのでしょう。
戦争という狂気の中にも人は心を失わずに生きることが出来るという、戦争の真実を伝える貴重な映画です。