たとえばギリシャ神話や日本神話に出てくる神様はたくさん悪いことをします。不倫をしたり略奪したりやりたい放題です。
キリスト教の神の概念が定まってから、神様は善なるものという考えがはじめて浸透しました。
現代のキリスト教的善悪の基準は、比較的新しいものなのです。
キリスト教の善悪の価値基準によって抑圧されてしまいましたが、人々は根源的に悪人の物語を求めていると言えます。
ハリウッドの変化
ヒットを狙うには、観客の好みをしっかりとおさえなければなりません。
それに伴い、映画において性がもてはやされた時代があり、暴力がはびこった時代があり、フィルム・ノワールが一ジャンルとして成立した時代がありました。
洗練されたピカレスク映画が作られ高い評価を得て、犯罪映画の歴史が積み重なっていくにつれ、悪者の概念の複雑化が進行していきました。
そうしたなかで勧善懲悪を固辞するのは不可能ですし、時代の流れに逆行することになります。
ハリウッドは時代の流れに敏感です。敏感でなければ作品は売れません。
そして売れるために、人々の求める物語を提供しなくてはなりません。
そして『シカゴ』が今の時代にあらためてハリウッドで制作され、人々はそれを大歓迎で受け入れ大ヒットしたのです。
女性の強かさ
『シカゴ』が人々に受けるのは、それがただの悪者ではなく、女性が悪者だからです。しかも二人です。
最後にヴェルマがロキシーに一緒に組まないかと誘うとき、殺人犯ひとりじゃめずらしくもないけど、ふたりならどう? と言って誘っています。
同じ時期に、同じように愛人を銃殺し、一緒に刑務所にいれられた美しい悪女たち。民衆が興味を抱かないわけがありません。
その二人は弁護士と組んで華麗に裁判と民衆を翻弄していきます。二人のパワフルな生き方は爽快感を人々に与えます。
時代が求めていたもの
映画の歴史が積み重なり、ハリウッドは時代に求められるままたくさんの作品を作りました。
人々は従来のヒーローに慣れると女性のヒーローを求め、典型的な悪役に飽きると魅力的なヴィランを求めました。
ハリウッドの観客は常に新しいものを求めます。
そして、お決まりの勧善懲悪に飽きた観客のために、新しい悪役の物語がハリウッドから差し出されました。
それが『シカゴ』だったというわけです。
まとめ
悪役のハッピーエンドがこれでもかと豪快に打ち上げられた『シカゴ』。
『シカゴ』の結末を受け入れられる土壌を、ハリウッドは一本一本地道に映画を撮ることで作り上げてきたのです。
そして観客はその物語を諸手をあげて受け入れました。
映画の歴史に新たなページがひとつ書き加えられたわけです。
すこし小難しいことを並べ立ててしまいましたが、この映画のメッセージはたったひとつ。
「All That Jazz」!! ただそれだけです。