そして観方を変えれば事故がノブオを救った形となります。
だからこそ、ノブオは闇と仲良くなり事故後の状況下のまま生きて行こうと思ったのかもしれません。
またノブオは赤い光と表現していますが、実際に地球が壊れ行く姿を目撃しており、地上より地下が安全だと判断していたとも読み取れます。
アコの恐怖の裏にあるもの
アコは事故後に、ノブオが先生を殺害する様子を見ています。
そのことがアコの怖いという気持ちを拡大したのでしょう。
人が死ぬ姿ばかりでなく、殺される姿も見てしまうのです。
怖いよ、怖いよ
引用:ドラゴンヘッド/配給会社:東宝
彼女が序盤に怖いというのは、仕方のないことなのでしょう。
しかし地上に出てからのアコは、テルを守るという女性の強さを感じます。
本当に恐ろしいものは何か
この作品では脱線の理由を具体的に描いていませんが、原作の通りおそらく富士山の噴火ではないかと考察できます。
本当の恐怖は自然災害ではない
やっぱり龍脈が乱れていたんだ
引用:ドラゴンヘッド/配給会社:東宝
劇中では、龍脈が乱れたことで災害が起きたと語られています。
しかし『ドラゴンヘッド』の恐怖は、災害が起きたことよりも人間の精神が乱れることにあります。
そしてこの狂気こそが、映画の主軸になっているのです。
恐怖を感じないこと
劇中では様々な人物が恐怖と対峙しており、その対峙の方法も様々です。
その中でも脳の前頭葉を切られた子供たちの姿は、観る者に大きな疑問を投げかけます。
恐怖を感じないということは、恐怖に勝ったといえるのでしょうか。
竜頭が最大のメッセージ
父親の愛によって生まれた恐怖を感じない子供たち、そして感情を消す備蓄の食糧の存在は、本作品の最大のメッセージをはらんでいます。
タイトルを示す子供たち
映画では描かれていませんでしたが、原作では頭に大きな傷を負った子供たちは「竜頭」と呼ばれています。
竜頭とは脳の中の記憶を司る海馬のことを示しています。
恐怖を回避するための「竜頭」こそが、本作品のタイトルなのです。
感情を失うことは救いになるのか
人間が絶望と対峙する際、感情は弱点となるのでしょうか。
確かに恐怖を感じなければ楽なのかもしれません。
ああなった方が幸せかもしれない
引用:ドラゴンヘッド/配給会社:東宝
劇中でアコは上記のように呟きますが、本当にそうなのか……。
答えは劇中に隠されている
本作では結末を観る者に委ねているようで、実はそうではないように感じます。
東京の食料を口にしなかったアコを観たとき、多くの観客は良かったと感じるのではないでしょうか。
それは感情を失いたくないということです。
劇中では下記のように語られていますが、それは真実なのでしょうか。
磁場が乱れて人間の精神が狂う
引用:ドラゴンヘッド/配給会社:東宝
疑心暗鬼な人間の心が真実かどうかもわからないものを信じさせ、心を失うという暴挙を後押ししたのかもしれません。
恐怖の本質を描いた話題作
本作品は人間の精神的な部分を映し出し、恐怖の本質は人間の想像力にあるのだと感じさせるものとなっています。
感情を消す食料が「試」であったのは、未来の人類への警告ではないでしょうか。
絶望的なラストシーンに恐怖を感じるか、生きる力を感じるか観る者によって意見の分かれるラストシーンです。