彼は車のクラクションを鳴らすことで、喧騒の中に身を置きます。
それが彼の日常だったのです。
トーマスが撮った写真に捕らわれた日から、彼は空虚な現実と幻の世界を交差して生きています。
空っぽなトーマスは、無音のパントマイムのテニスに遭遇します。
おそらくこれは彼が見ている幻ではないでしょうか。
欲望のまま行動する彼は、何となくそのテニスに参加したのでしょう。
打球の音が耳に届いたとき、彼の日常は戻ったのではないでしょうか。
引き延ばした写真に捕らえられていた彼の心が、解放された瞬間だったのです。
全てが幻だったという意見
本作は抽象的な映画といわれるように、解釈の仕方は観た人によって異なります。
写真の真実を考察してきましたが、全て彼の見た幻だったという考察も興味深いのではないでしょうか。
冒頭に登場するトーマス
映画の冒頭に安い宿を後にするトーマスの姿を観ることが出来ます。
彼の身なりな貧相で、劇中に登場する派手な彼とはかけ離れていました。
この姿こそが、トーマスの本当の姿だとも解釈出来ます。
モッズたちの登場で、彼の妄想的な欲望の世界に突入するのです。
彼が写真家であることも、殺人現場を写真に収めたこともすべてが彼の妄想となります。
ラストの無音でのテニスシーンでは、音が聞こえたことで現実に引き戻されたと考察できます。
ドラッグや酒でトリップしていた
本作にはスウィンギング・ロンドンを代表するモッズカルチャーが登場します。
乱れた性関係やドラッグなど社会的モラルを崩していたのも、この時代の若者文化です。
劇中に描かれていたトーマスの幻覚は、ドラッグによるものではないかという意見もあります。
写真に写っていた殺人も彼がトリップしている状態だったために見えたものだったという解釈です。
様々な解釈がありますが、監督は流行の最先端であったスウィンギング・ロンドンの闇を描きたかったような気もします。
真実とは何かを問いかける作品
本作は真実をありのまま映し出す「写真」が、本当に真実を映しているのかという疑問を投げかけています。
スウィンギング・ロンドンという空虚な若者の文化をあざ笑うかのように、欲望が何を生み出していくのかを描いていました。
抽象的な作品なので、観る者の解釈も大きく違ってくるでしょう。
だからこそ何度観ても、答えが見つからず面白い映画といえるのではないでしょうか。