さだ子もまた息子に憎まれるという負の連鎖が続いているのです。
人を憎むこと、そして許すとは何かを深く考えさせられるシーンです。
懺悔は相手の心に届いたのか
30年という長い時間、憎しみをぶつけてきたさだ子と平兵衛はお互いに許しあうことは出来たのでしょうか。
解放された平兵衛
いつまでも消えない憎しみを向けられてきた平兵衛は、自分の犯した罪を何度後悔したことでしょう。
憎しみに対して憎しみでしか答えられなかった平兵衛もまた、負の連鎖に捕らわれていたのです。
しかし懺悔をすることで平兵衛の本当の思いは、長年の時間を経てやっとさだ子に届いたといえます。
さだ子と隆が平兵衛と向き合った瞬間
人間には忘れることと、できんことがある
引用:永遠の人/配給会社:松
このセリフは、観る者に強いインパクトを与えるセリフです。
きっとさだ子は平兵衛のことを許さないのだろう、と観る者はやるせない思いを感じます。
忘れることは出来ない、けれど許すことは出来るということを劇中では物語っています。
さだ子と隆は被害者でありながら加害者でもあったのです。
平兵衛が家から出てきた瞬間に、二人の懺悔は平兵衛に届いたといえるでしょう。
子供を思う気持ちが憎しみを超えた
さだ子たちの負の連鎖を止めたのは、豊と直子の存在です。
彼らはどのように負の連鎖を止めたのでしょう。
愛し合うことで憎しみを消した
豊と直子は、かつて結ばれなかった隆とさだ子を象徴しています。
当初平兵衛が反対していたのも納得です。
しかし平兵衛は、心の奥で子供たちの愛を応援したいと感じたのかもしれません。
嫉妬心を向けていた隆の子供と自分の娘の仲を認めることで、30年の憎しみが消えていったことでしょう。
人を愛するということは憎しみの対角になる言葉なのです。
友子との心が通じた
自分の死期が近いため最後に豊に会いたい
引用:永遠の人/配給会社:松竹
さだ子の存在に苦しんできた友子でしたが、息子への愛の為に憎しみを捨てています。
憎しみがすべて消えていたわけではないでしょう。
しかし、子を思う母の気持ちが憎しみを超えたのかもしれません。
栄一を失い歳を重ねたさだ子もまた、自分の憎しみが何を招いているのか感じ取っていたのかもしれません。
憎しみの行き場を考えさせられる作品
『永遠の人』は人を憎む心の強さを見せつける作品です。
また同時に憎しみの無意味さ、許しとは何かを深く問いかけます。