そして、永遠に自分を見失うとはどういう意味なのでしょうか。
神父の言葉に込められた2つの意味は
神父がフランキーに2つのことを伝えようとしました。
それは「マギーの尊厳死を手伝うべきでない」と「手伝えばフランキー自身が罪の重さに耐えられなくなる」ということです。
2つの意味について順にみていきましょう。
1つ目の「マギーの尊厳死を手伝うべきでない」は、言葉通りの意味です。
なぜならカトリックの教えでは「自殺は地獄に落ちる罪である」とされているからです。
そのため、自殺を手伝うような行為ももちろん禁止されています。
それもあって、神父はフランキーにマギーの尊厳死を決して手伝うべきではないと言いました。
2つ目の「手伝えばフランキー自身が罪の重さに耐えられなくなる」とは、フランキーの性格と関係しています。
フランキーは自身が感じる罪のため、23年間もミサに通うほど、責任感が強く信仰心も篤いです。
そんな人間が尊厳死を手伝えば、自らの責任感や信仰心に押しつぶされる、と神父は伝えたかったのです。
神父はフランキーに、キリスト教の信仰心を抜きにしても手伝うべきではない、強く警告しました。
フランキーの背負う罪
フランキーが23年間もミサに通い続けるきっかけとなった「自分を許せぬ罪」とは何なのでしょうか。
答えは、「エディを失明させ、選手生命を絶たせてしまったこと」です。
エディ自身がフランキーを恨むことはありませんでした。
しかしフランキーは自身の止血の技術が、結果的にエディの選手生命を絶ったと己を責めます。
劇中フランキーはエディに憎まれ口を叩きます。
フランキーの態度は、フランキーがエディに自身の罪をみていることを表します。
そしてエディがフランキーを憎んでいないことが逆にフランキーの罪悪感を強めていると考えられます。
フランキーの結末は
フランキーは、マギーが苦しまず死ぬように処置をして姿を消しました。
フランキーがアドレナリンの注射器を2本も用意しをたこと。
そしてカトリックの教えを破ったこと、マギー死なせたことを考慮すると、フランキーは自殺したという意見があります。
一方で映画の最後のシーンで、ある店が映されます。
その店はフランキーの好物のレモンパイを出し、かつマギーと食事をした思い出の場所でもあります。
最後にフランキーにとって大切な場所を映したことから、彼は生きている、という意見も同じくあります。
なぜマギーは自ら命を放棄したのか?
自らの人生を生きたマギー
なぜマギーは死を望んだのでしょうか。
それは「思うままに生きた自分の人生の誇りを守るため」です。