高慢に対応する殺人に至っては、美しい女性モデルの顔を醜くし、本人に醜い顔のまま生きていくかそれとも死を選ぶかを選択させています。
非常に残酷かつ冷酷な所業です。
他の被害者も同様です。何の罪もない人が残酷な方法で殺されている、というのが一般的な人間の受け止め方ですが、犯人であるジョン・ドゥには違うようです。
確かに肥満になるのは(病気の場合を除き)自制心が足りないからであり、敏腕弁護士が情け容赦なく儲けようとするのは強欲に他ならないでしょう。
ですがそういった部分は一般的に誰もが持ちうる少しの”悪”であり、人の命を奪うまでには至っていないのがほとんどです。
私たちの中にも強欲や怠惰はもちろん、高慢や色欲もあります。全くそれらを持っていないというのはよほど徳や志の高い一握りの人間でしょう。
そのためそういったわずかな欲望や罪といえないまでもの悪は見過ごして生きていくものですが、ジョン・ドゥの場合はそうではなく、許せない醜いものだったのです。
七つの死を呼ぶ罪が実際に死を呼んだ姿を見せつけられたこの展開に私たちでさえ恐怖を覚えます。
ですから、キリスト教の教義が身に染み付いているキリスト教圏であるアメリカでは更なる戦慄を呼んだことでしょう。
犯人ジョン・ドゥの存在
ジョン・ドゥと名乗る犯人の正体や動機は最後まで分かりません。
英語では「名無しの権兵衛」という名前がジョン・ドゥであり、彼の存在がこの映画をひときわ恐ろしいものにしています。
それは異常殺人者だから、という意味ではありません。
ジョン・ドゥは常に表情を崩さず、冷静沈着。サマセットがプロファイルしていた通り非常に高い知性を備えているように感じさせます。
感情をあらわにしたのはサマセットとミルズとともに移動している車中のみ、しかも一瞬のこと。
知性が高いゆえに理想も高く、潔癖な印象も受けます。
隣人として暮らしていれば、どちらかというと物静かで好印象を持つ類の人間といえるでしょう。
少なくともあからさまに迷惑をかける粗野な人間ではなさそうです。
しかし普通に暮らしていれば人間は何らかの生きた痕跡というものを残します。
ジョン・ドゥのように本名不明、経歴も全く分からないということはあり得ません。
ジョン・ドゥはおそらく、当初から七つの大罪に沿った殺人を犯す、といった計画だったかどうかはわかりませんが、まだ青年であったかなり若いうちからこういった計画を考えていたのでしょう。
すべてそのために生きてきたのです。
彼は若くして聡明で、幼いころにまだ知らなくてもいいい人間の汚い部分に気付いてしまったのかもしれません。
世の中に当たり前にある小さなエゴや小さな悪意、そういったものが耐えられなかったのかもしれません。
堕天使、そして悪魔と化したジョン・ドゥ
見方を変えればジョン・ドゥは、高潔であり過ぎたためにこうなってしまったのではないかとも考えられるのではないでしょうか。
ミルトンの失楽園で描かれている悪魔になってしまった堕天使の姿がジョン・ドゥに重なります。
悪魔であり恐ろしい魔王として知られているサタンは、堕天する前はルシファーという名の天使の中でも最高位にある天使であったとされています。
極端すぎる知性や高潔さは一つ何かを間違えれば暗黒面に引きずり込まれてしまう。それを体現する存在がジョン・ドゥであるといえるでしょう。
衝撃のラストがもたらした意味とは
愛する妻がジョン・ドゥによって殺害されたことを悟り、激高するミルズ。
怒りにまかせてジョン・ドゥを殺してしまったかのように見えますが、そうではありません。
彼は妻が妊娠していることを知りませんでした。その事実を妻の死とともにジョン・ドゥに突き付けられます。
ジョン・ドゥのもくろんだ七つの大罪の完成にはあと二つ、嫉妬と怒りが足りません。
劇中でジョン・ドゥはミルズに向かって「お前の幸せな家庭に嫉妬した」という趣旨のことを述べますが、これまでのジョン・ドゥの言動を顧みると彼がミルズに嫉妬を感じるというのは違和感があります。
よくあるセブンの考察では、ミルズがジョン・ドゥを殺したことによってジョン・ドゥがその死によって嫉妬の罪を贖い、そしてミルズがジョン・ドゥを殺すことによって憤怒を贖う、とあります。
そうではなく、ミルズがジョン・ドゥに嫉妬したのです。彼の知らなかった妻の妊娠をジョン・ドゥが知っていたことに。
そしてその憤怒はもちろんジョン・ドゥにも向きましたが、おそらくは妻であるトレーシーにも向けられたことでしょう。
その怒りの大きさに差はあるとはいえ。
ですがトレーシーはすでに亡くなり、その口からはもう何も語られません。