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【セブン】”七つの大罪”との関係を徹底解説!映画史に残る衝撃のラストがこの映画に抗いがたい魅力を与えている理由とは

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B076GZZJSP/cinema-notes-22

さまざまな意味で多くの世界に波紋を広げた問題作であり名作中の名作映画でもあるのが1995年のハリウッド映画、セブンでしょう。

主演二人の演技はもちろん、ハリウッド大作とは思えないほど非常にダークな世界観を持ち、独特の映像美も魅力的なこの作品。

物語は「七つの大罪」をモチーフに殺人事件が繰り広げられ、それを老刑事と若い新人刑事が追うサイコ・サスペンスです。

しかしその衝撃的なラストは波紋を呼び、またさまざまな憶測を呼んだものでもありました。

この映画のラストを映画史上に残るものにしたのは、そこに至るまでに映画内で繰り広げた数々の殺人事件。

ここではその劇中の殺人事件と七つの大罪との関係性との説明、そしてこの七つの大罪の存在がラストシーンに大きな意味を持たせ、これほどまでにこの映画を名作たらしめることになったのかを解説します。

「七つの大罪」とは何か

この映画を理解する上で、この「七つの大罪」の概念を理解しておく必要があります。

キリスト教の教義

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日本においてこの七つの大罪という言葉は大ヒットした同名のアニメ、マンガのタイトルとして認識されているかもしれませんが、七つの大罪はキリスト教における重要な教義のうちのひとつです。

キリスト教圏であるアメリカではその内容はよく浸透しているでしょう。

キリスト教においては旧約聖書、新約聖書が聖典とされていますが、実はこの二つの聖書の中には七つの大罪は明確に描写されていません。

七つの大罪が初めて登場するのは4世紀ごろ。

エジプトの修道士であるポントスのエウァグリオスの著作にある、誘惑や困難を引き起こす「八つの人間一般の概念(八つの枢要罪)」が七つの大罪のもとになったといわれています。

この八つの人間一般の概念がローマ教皇・グレゴリウス一世の手によって七つの大罪へと見直され、すべての罪を引き起こす人間の欲望や感情と定義づけられました。

その七つの大罪とは、

高慢(Pride)、貪欲(Greed)、嫉妬(Envy)、怒り(Wrath)、色欲(Lust)、貧食(暴食)(Gluttony)、怠惰(Sloth)とされています。

もともとの八つの人間一般の概念にはこれに悲嘆(憂鬱)が組み込まれていたようです。

七つの大罪は英語で言うと「Seven deadly sins」。

直訳すると七つの死を呼ぶ罪、ということになりますが、確かにここで示された感情や欲望は突き詰めると身の破滅を呼ぶものであることがわかります。

劇中で紹介された文学作品

「セブン」を深く知るためには劇中で紹介された文学作品も理解しておけば、より掘り下げてこの物語を解釈できます。

ダンテ「神曲」

神曲 煉獄篇 (河出文庫 タ 2-2) 文庫 – 2009/1/26

地獄篇、煉獄篇、天国篇の三部で構成される歴史的にも非常に重要な文学作品です。

特に地獄篇、煉獄篇の内容についてはキリスト教圏以外でもよく知られ、今日の一般的な地獄のイメージはこれらををもとにしているといわれています。

ダンテは地獄と煉獄では古代ローマの詩人ウェルギリウスを、天国篇では永遠の淑女ベアトリーチェに案内され地獄と煉獄、そして天国を旅することに。

地獄篇では日本の三途の川にあたるアケローン川や九つの階層に分かれた地獄の様子が描かれます。

煉獄篇では永遠に責め苦を受け続ける地獄とは違い、ここでは七つの大罪を犯したものが罪を贖い天国に行くための苦しみ、そして清めの場所として位置づけられています。

天国篇においてダンテは聖人と邂逅し、神の愛を知ることになるのです。

ミルトン「失楽園」

「失楽園」は旧約聖書の創世記をテーマにした壮大な叙事詩です。

旧約聖書の創世記の中には有名なアダムとイブが悪魔の誘惑に負けて禁断の果実を口にし、神に楽園を追われるエピソードがありますが、これを失楽園や楽園追放といいます。

この作品の中にも詳しく七つの大罪についての記載があり、天使が堕天使=悪魔になったいきさつなども学べる作品です。

チョーサー「カンタベリー物語」

カンタベリー大聖堂への巡礼の道すがら宿泊した宿で、止まっている人々が身分の貴賤を問わず語った物語をまとめた、という形式を取った物語集です。

話の内容は宗教的なものに限らずロマンスやちょっと下世話なお話、ポエムなどさまざま。この中の「牧師の話」において七つの大罪が語られています

「セブン」で描かれる七つの大罪を象徴する殺人

劇中ではまず第一の殺人が月曜日に起こります。これは老刑事サマセットの定年退職一週間前のことでした。

タッグを組んだばかりばかリの血気盛んな若い刑事・ミルズとともに駆け付けた現場には異様な光景が広がっていました。

ここから恐ろしい連続殺人事件は始まったのです。

ここで起こった殺人と対応する七つの大罪の関係を整理してみましょう。

5つの殺人

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・貧食(暴食)(Gluttony)

サマセット退職の一週間前。驚くべきほどの肥満体の男性がスパゲッティに顔を突っ込んだ状態で死亡。脅されて、吐きながらも食べ続けることを強要された形跡あり。

・貪欲(Greed)(※映画内では強欲、と訳されていました)

私利私欲を貪る弁護士が自分の腹の肉を1ポンド切り取って変死。

・怠惰(Sloth)

一連の事件の犯人かと目された前科のある男性が薬物付け、さらに舌を噛みきり廃人同様の状態で発見される。命はあったが医師の話からはいずれは死ぬ、もしくは耐えがたい苦痛を味わい続けることになることが推測される。

・色欲(Lust)(※映画内では強欲、と訳されていました)

特注の道具を無関係の男性に使用させ娼婦の腹を切り割かせて殺害。

・高慢(Pride)

モデルの女性が鼻をそがれ、右手に電話、左手に睡眠薬を固定された状態で絶命されているのが見つかる。

被害者は殺されるに値する人物か

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この5つの殺人は七つの大罪のそれぞれの罪に対応する、と犯人であるジョン・ドゥが感じた人がターゲットにされた、という印象です。

高慢に対応する殺人に至っては、美しい女性モデルの顔を醜くし、本人に醜い顔のまま生きていくかそれとも死を選ぶかを選択させています。

非常に残酷かつ冷酷な所業です。

他の被害者も同様です。何の罪もない人が残酷な方法で殺されている、というのが一般的な人間の受け止め方ですが、犯人であるジョン・ドゥには違うようです。

確かに肥満になるのは(病気の場合を除き)自制心が足りないからであり、敏腕弁護士が情け容赦なく儲けようとするのは強欲に他ならないでしょう。

ですがそういった部分は一般的に誰もが持ちうる少しの”悪”であり、人の命を奪うまでには至っていないのがほとんどです。

私たちの中にも強欲や怠惰はもちろん、高慢や色欲もあります。全くそれらを持っていないというのはよほど徳や志の高い一握りの人間でしょう。

そのためそういったわずかな欲望や罪といえないまでもの悪は見過ごして生きていくものですが、ジョン・ドゥの場合はそうではなく、許せない醜いものだったのです。

七つの死を呼ぶ罪が実際に死を呼んだ姿を見せつけられたこの展開に私たちでさえ恐怖を覚えます。

ですから、キリスト教の教義が身に染み付いているキリスト教圏であるアメリカでは更なる戦慄を呼んだことでしょう。

犯人ジョン・ドゥの存在

ジョン・ドゥと名乗る犯人の正体や動機は最後まで分かりません。

英語では「名無しの権兵衛」という名前がジョン・ドゥであり、彼の存在がこの映画をひときわ恐ろしいものにしています。

それは異常殺人者だから、という意味ではありません。

ジョン・ドゥは常に表情を崩さず、冷静沈着。サマセットがプロファイルしていた通り非常に高い知性を備えているように感じさせます。

感情をあらわにしたのはサマセットとミルズとともに移動している車中のみ、しかも一瞬のこと。

知性が高いゆえに理想も高く、潔癖な印象も受けます。

隣人として暮らしていれば、どちらかというと物静かで好印象を持つ類の人間といえるでしょう。

少なくともあからさまに迷惑をかける粗野な人間ではなさそうです。

しかし普通に暮らしていれば人間は何らかの生きた痕跡というものを残します。

ジョン・ドゥのように本名不明、経歴も全く分からないということはあり得ません。

ジョン・ドゥはおそらく、当初から七つの大罪に沿った殺人を犯す、といった計画だったかどうかはわかりませんが、まだ青年であったかなり若いうちからこういった計画を考えていたのでしょう。

すべてそのために生きてきたのです。

彼は若くして聡明で、幼いころにまだ知らなくてもいいい人間の汚い部分に気付いてしまったのかもしれません

世の中に当たり前にある小さなエゴや小さな悪意、そういったものが耐えられなかったのかもしれません。

堕天使、そして悪魔と化したジョン・ドゥ

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見方を変えればジョン・ドゥは、高潔であり過ぎたためにこうなってしまったのではないかとも考えられるのではないでしょうか。

ミルトンの失楽園で描かれている悪魔になってしまった堕天使の姿がジョン・ドゥに重なります。

悪魔であり恐ろしい魔王として知られているサタンは、堕天する前はルシファーという名の天使の中でも最高位にある天使であったとされています。

極端すぎる知性や高潔さは一つ何かを間違えれば暗黒面に引きずり込まれてしまう。それを体現する存在がジョン・ドゥであるといえるでしょう。

衝撃のラストがもたらした意味とは

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愛する妻がジョン・ドゥによって殺害されたことを悟り、激高するミルズ。

怒りにまかせてジョン・ドゥを殺してしまったかのように見えますが、そうではありません。

彼は妻が妊娠していることを知りませんでした。その事実を妻の死とともにジョン・ドゥに突き付けられます。

ジョン・ドゥのもくろんだ七つの大罪の完成にはあと二つ、嫉妬と怒りが足りません。

劇中でジョン・ドゥはミルズに向かって「お前の幸せな家庭に嫉妬した」という趣旨のことを述べますが、これまでのジョン・ドゥの言動を顧みると彼がミルズに嫉妬を感じるというのは違和感があります。

よくあるセブンの考察では、ミルズがジョン・ドゥを殺したことによってジョン・ドゥがその死によって嫉妬の罪を贖い、そしてミルズがジョン・ドゥを殺すことによって憤怒を贖う、とあります。

そうではなく、ミルズがジョン・ドゥに嫉妬したのです。彼の知らなかった妻の妊娠をジョン・ドゥが知っていたことに。

そしてその憤怒はもちろんジョン・ドゥにも向きましたが、おそらくは妻であるトレーシーにも向けられたことでしょう。

その怒りの大きさに差はあるとはいえ。

ですがトレーシーはすでに亡くなり、その口からはもう何も語られません。

ジョン・ドゥに対する怒り、嫉妬に燃え上がったミルズの心を愛しい妻の顔とともにむなしさや悲しみ、そして復讐心がよぎります。

最初は激情にまかせて引き金を引こうとしました。ですが妻の妊娠を告げられて彼の心は蒼白になり、一瞬の冷静さを取り戻します

ミルズはその行為がジョン・ドゥのもくろみ通りになることを知りながら、それでも七つの大罪のうちの嫉妬と怒りを引き受けて、引き金を引くのです。

ジョン・ドゥがなりたかったもの

ジョン・ドゥのその高潔な精神からいって、自分がおぞましい七つの大罪の一部になるのは耐えられないのではないでしょうか。

おそらくはジョン・ドゥ自身の死は尊き犠牲者、他の者の罪を引き受けて十字架にかかったイエス・キリストのような存在になりたかったのでしょう。

そして嫉妬、怒りを体現する罪人はミルズでしょう。ではミルズの妻トレーシーの死は?という疑問が残ります。

トレーシーは生前「この街が嫌いだ」とサマセットに打ち明け、子供を産むことにも不安を抱えていました。

トレーシーは七つの大罪のもとになった八つの人間一般の概念の一つである悲嘆(憂鬱)の犠牲者ということになるのだと考えることができるのではないでしょうか。

ジョン・ドゥが用意した2つの結末

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そしてジョン・ドゥは2つの結末を用意していました。

一つはミルズがジョン・ドゥを殺した後自殺するか、もしくはサマセットによって射殺されるか。これで七つの大罪は完成します。

もう一つはこの映画のラスト通り、ミルズはジョン・ドゥを殺しながらも自身は死なず、生きて殺人の罪を贖うことになること

これも一つの意味で七つの大罪の完成といえるのかもしれませんが、このミルズが生きることによってジョン・ドゥは七つの大罪の完成よりもさらに壮大な物語を完結させることになります。

ダンテの神曲においては、七つの大罪を贖い清めたものは天国へ到達します。

ミルズが生きながらえることによって七つの大罪は完成せず、ジョン・ドゥにとっての七つの大罪の贖いであった七つの死は満たされません。

ミルズはジョン・ドゥに対する憎しみと妻を死なせた悲しみ、そして罪の意識を背負いながら今後生きていくことになります。

その世界にはもはや明るい未来は存在せず、生きながら地獄をさまようようなものでしょう。

ダンテの神曲の地獄篇の体現者のように救われることなく地獄を彷徨い続け、ミルトンの失楽園のアダムのように楽園を追われていくことになります

ジョン・ドゥによって壮大な物語が現世で実現することになるのです。

サマセットの絶望

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厭世観をあらわにした定年間近の老刑事サマセットは思慮深く、文学や歴史、宗教学にも通じた人物です。

若く未熟で感情をあらわにするミルズとは対照的な存在ですが、彼が内包する絶望もまたこの映画に暗い影を落としています

この街に、そしてこの世にはびこる無関心さ、醜さを恐れるあまり自分の子供を誕生させなかった過去を持つサマセット。

刑事として訪れた現場で子供が凄惨なシーンを目にしなかったかどうか気にする姿からは繊細で優しい心の持ち主であることが窺えます。

そして心優しく善人であるがゆえにこの世の中では生きづらく、世の中に絶望しているのです

ラストシーンでサマセットははミルズがジョン・ドゥを殺そうとするのを必死で止めようとしますが、むなしくもミルズはジョン・ドゥを殺してしまいます。

その結果を目の当たりにしたサマセットは、肩を落として深い溜息をつくのです。

通常であればミルズに詰め寄ったり、また逆に崩れ落ちたりともう少し大きな感情の動きがあるものではないでしょうか。

どこかでサマセットはこの結末を予想していたのかもしれません。

純粋で心優しくきれいな心を持つサマセットは、車の中でのジョン・ドゥとのやり取りでどこか共通するものを感じていたかのような表情を見せることがありました

ジョン・ドゥもまた、この世界の醜さに絶望していた一人だったからです。

サマセットが、そして「セブン」が体現するものとは

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その生き方には天と地との差がありますが、サマセットとジョン・ドゥはどこかで似通っていた魂を持っていたのでしょう。

この対比も悪魔がもとは高潔な天使であったことを思い起こさせます

善と悪とは表裏一体、天使が堕天使になり、悪魔になるのと同じなのです。

醜い世の中に絶望しきっていたサマセットは、それ以上絶望することはできようもなく、常に抱えている深い絶望の中でまた溜息をつくのです。

深すぎる絶望のためにサマセットが嫌う「無関心」を、自衛のために心の中に住みつかせながら。

この映画のラストには、全ての人間の光と闇、そして絶望が混在していました。

意表を突いたラストだということもありますが、その精神性が無意識のうちに多くの人々の心の中の何かを揺さぶるからこそ、何年経っても名作といわれ続けるのでしょう。

あなたが心揺さぶられるのは、この作品の絶望でしょうか。それとも常軌を逸するまでに高潔な魂でしょうか。

どちらにも抗いがたい、それが神でも悪魔でもなく人間というものの本質なのではないでしょうか。

それを改めて思い出させてくれるのがこの「セブン」という映画なのだと思います。