2.は日本でもお馴染み。ルーレットの数で人生の道のりが、大まかに決められ、その後の人生も進められていくというゲーム。
ニックと妹が軽く呑みながら、気楽に話しつつ愉しんでいましたが、これは、2人のそれまでの人生の暗喩として登場したように思えます。
後半の2つは、エイミーがニックの対外的なイメージを作為的に考慮して選ばれています。
⒊は領土取りゲーム。⒋も自分の国家を構築し宇宙空間にまで拡張していくというゲーム。
エイミーがニックに、いかにも征服欲や支配欲がありそうな男、というイメージを植え付けようと、意図して購入したように思えます。
ボードゲームで作者が意図したかったことは?
セオリーに沿っていけば平穏無事にゴールできる。しかし…道を外れたくなった時は、ゲームを強制終了するしかない。
結婚生活はゲームのようにリセットすることができない。
というストーリーのテーマの暗示のように感じられました。
更に、人生は喜怒哀楽何事も起こり得ないことはない、とエイミーの失踪から帰宅までを描くことで提示したかったのではないでしょうか?
エイミーとニックの今後は?
支配欲求>愛情???
ニックは保釈されて帰宅…と誰もが思った矢先、表面上は「奇跡」とまで注目を浴び、2人は揃って一つ屋根の下に戻る羽目になります。
日本でもこの手の劇場型犯罪の当事者は、次の残酷な事件が起きるまでは格好のマスコミの餌食になってしまいます。
序盤の出逢ったばかりのニックとエイミーの2人の会話の噛み合い方を見る限り、ありふれた恋愛の始まりと変わりありませんでした。
エイミーがニックの元に戻った最大の動機は、夫婦の愛情がエスカレートした彼女がニックに対する異常な支配欲求を満たすためのように感じられました。
受け手それぞれの人生経験によって、そのストーリーやテーマに共感できることもあれば、そうでないこともあるのが映画の醍醐味です。
本作は、ある意味極端に振り切れた愛の価値観を提示して、受け手にとっての愛情や信頼の定義を問うストーリーになっています。
原作と影響を受けた作品
脚本家が手がけた小説と「僕のヤバイ妻」
原作は2012年のギリアン・フリンの小説です。彼は本作の脚本も担当しています。ストーリーは全く同じではないと語っています。
また2018年に日本で放送されたドラマ「僕のヤバイ妻」は日本版「ゴーン・ガール」といえそうなストーリー展開でした。
- ストーリーの語り手が夫婦でシンメトリーになっていること
- 妻が夫に異常に執着していること
- 妻が夫に振り向いて貰うためなら、手段を選ばないこと
デビット・フィンチャーやギリアン・フリンがこのドラマを観て、どんな感想を持つか機会があれば、訊いてみたいものです。
日本人向けになっている箇所を興味深く明確に語ってくれるかもしれません。
本作を観て、同系統のストーリーを、もっと観たい人は必見でしょう。