彼からの最後のメッセージは「私はとても幸せでした」だったのでしょう。
そして笑顔で手を振り合う2人の顔は、不倫という言葉が似合わないほど爽やかでした。
離婚事情
別居しているとはいえ、妻と離婚が成立していない状態で女性に手を出したら不倫です。
いくら映画の中でも不倫を美化するような内容は受け入れられないという人も多いでしょう。
女性を誘うならきちんと離婚してからにして欲しいところですが、そもそもレナートは妻と離婚する気があったのでしょうか。
離婚できない!
日本は離婚届を提出すれば離婚することができる国です。しかしイタリアの場合は事情が違います。
そもそもイタリアでは1970年までは離婚が認められていませんでした。
イタリア人のほとんどがカトリック教徒ですから、結婚するときは神様に誓いを立てます。
一生その結婚相手と生きていくことを宣言するのです。
つまりどれほど夫婦仲が悪くても死ぬまで添い遂げなければならないという宗教上の掟がありました。
この映画が完成したのが1955年ですから、当時はまだ離婚したくてもできない時代でした。
そう考えるとレナートが別居したまま離婚せずにいたのは納得がいきます。
レナートの悲恋
恋に落ちたとしても結婚できないことをレナートは最初から分かっていました。
だから初めからジェーンに本気で惚れていたわけではありません。
浮かれた旅行客をカモにしようと考えて、有名観光スポットをブラブラしていたのでしょう。
そして見つけたのが恋愛経験が少なくてお金を持っていそうなジェーンでした。
レナートとしてはジェーンにのめり込むつもりは全然なかったはずです。
ですが彼女の乙女のような純粋さに触れるにつれ、レナート自身も気づかぬうちに恋をしていたのです。
しかし彼は妻子ある身。ジェーンと一緒になれないことは明白でした。
女好きなナンパ男のようにみえたレナートも、時代に翻弄されて本当の恋を成就できなかった可哀想な人だったのかもしれません。
最後に
この作品はひと夏のアバンチュールを描いたものだと一言で片付けられてしまうことがあります。
しかしそれは物語の表面をさっと撫でただけで、きちんと解釈を加えられなかった人の感想なのではないでしょうか。
8ミリカメラやクチナシの花のように、登場人物が言葉や表情で表さない心境の変化を私達に伝えてくれるヒントが隠されています。