さらに千尋が幼い頃に住んでいた家の近くを流れていたその川は「コハク川」という名前であったことをハクに伝えました。
このことで、彼が失っていた全ての記憶が一瞬にしてよみがえります。
そう、ハクの正体は「ニギハヤミコハクヌシ」という名をもつ「川の神様」だったのです!
白竜は「神様の姿」
ハクは湯屋では「少年」の姿として、湯屋を離れるときには「白竜」の姿として描かれています。
作品中には、姉役のリンと力を合わせて別の川の神様を助けるシーンがあります。
その時もヘドロの様な姿をした神様がお湯できれいになった後には姿を変えて飛んで行くことからも「白竜」は神様としてのハクの姿といわれているのです。
「ハク」の存在が訴えるメッセージ
本作品の鑑賞中には「川の神様」であるハクがこの世界に留まり、湯婆婆の元で働くのか不思議に感じた人も多いことでしょう。
しかし、作品の終盤でハクの正体である「ニギハヤミコハクヌシ」が守る「コハク川」は住宅建設のために埋め立てられて無くなってしまったという悲しい事実も千尋の記憶から明らかになります。
現代への警鐘と問題提起
正に「ハク」は、愚かな人間の都合で昔から守られてきた自然が破壊され、日本に800以上もいると信じられてきた神様も大切にすることができなくなりつつある時代へ警鐘を鳴らし問題提起をする存在なのです。
千尋の発するたった一言であっても、「ハク」が神として守った川が無くなってしまったという衝撃は多くの人の心に残っていることでしょう。
「カオナシ」
「カオナシ」は、つかみどころがなく存在感の薄いキャラクターとして冒頭は描写されています。
しかし、ストーリーでは存在感を増していくミステリアスなキャラクターとして登場しています。
こちらでは、奇妙な存在感と謎を秘める「カオナシ」に込められたメッセージについての考察をご紹介します。
「カオナシ」のキャラクター
カオナシは、お面に黒い影を帯びたような異様な雰囲気をかもし出す存在として描かれています。
お面には表情がなく、言葉も「ア」や「エ」などの短い声を出すだけであるため、コミュニケーションを取ることはできません。
「カオナシ」の特徴
カオナシは、自分の欲するものを手から出すことができる能力で他人を魅了し、それを罠に人などを呑み込むことで声を借りて話すことができるようになるのが特徴です。
作品の冒頭で千尋に出会ったときから彼女を欲するようになり、作品を通して奇妙な存在感のあるキャラクターとして描かれています。
「カオナシ」の正体
カオナシは他のキャラクター同様に人間界とは違った由来があり、中身は土の塊で姿を消すことができるなど不思議な力を秘めた存在とされてます。
手から自分の欲するものを出したり、姿を消すことができたり、他人を飲み込むごとに声や体型を変化させることができるなど多才な能力をもちます。
なのにも関わらず、本性はつかみきれないというとても不安定でミステリアスな存在でもあるのです。
「カオナシ」のモデル
作品中では印象深い奇妙な存在として描かれるカオナシは「人間の欲望の塊」「悪魔」などと憶測されてきましたが、宮崎駿監督は「カオナシは誰の心の中にいるもの」と説明しています。
さらに監督は、作品についての説明の中でカオナシは「現代の若者をイメージしたもの」とも加えています。
「コミュニケーションをとることができない(または苦手)」「誰かとつながりたいけれど、つながれずにいる」「問題はお金で何でも解決しようとする」「気に入らないことがあればすぐに暴れる」というような特徴をもつ存在として描かれているのです。
若者に限らず現代社会の問題を象徴するような存在としてカオナシを登場させることで、社会に潜む問題の大きさを訴えているようにも感じられます。
「カオナシ」に込められたメッセージ
本作品で重要な鍵となるのが「名前」です。千尋が湯婆婆との契約を交わす場面からも理解できるでしょう。
監督が本作品を企画した際のテーマの1つとして「言葉の力が軽んじられている現代にて”言葉は意志であり、自分であり、力”である」ということを掲げていました。
このテーマに基づいて製作された本作品の中で自ら言葉を話すことのできないカオナシは「言葉を話すことができない=意志がない=自分がない」存在として描かれています。
カオナシの特徴や存在は「自分の意志がなく無気力で定まることのできない不安定な人々の増加」や「誰かとつながりたいけれどつながれずに孤独が静かに深まる社会の闇」をリアルに伝え、その大きな問題への警告ともとらえることができるのです。
カオナシが出した砂金は最初から土塊
湯婆婆がバスローブを着て砂金を山積みにしていた場面で、一粒手に取りその輝きを見て一瞬ニヤリと微笑むシーンがあります。
この描写でいかに湯婆婆が金に取りつかれているかが分かります。
そして湯婆婆は、手塩に掛けて育てていた大きい赤ちゃんの”坊”が、姉の銭婆の魔法により変化させられている”ダルマ3兄弟”だったことを、ハクのおかげで知ります。
そこでやっと湯婆婆は目が覚めたのかもしれません。
目に見えるもの全てが現実ではないと知り、砂金だと思っていたのは偽物だと分かったのでしょう。
心情の変化から砂金は元の土塊に戻っていったと考えられます。
両親はなぜ豚になってしまったのか?
映画の冒頭に訪れる突然の悲劇…それは千尋の両親が得体のしれない食べ物を食べて豚になってしまい、言葉も失ってしまったことです。
なぜ両親は「豚」になったのでしょうか?他にも生き物は色々いるので「豚」にこだわる理由はあったのでしょうか?