対して囚人の多くはきちんとした教育を受けず、親や周囲の愛も知らない人生を歩まざるを得ませんでした。
努力する猶予は与えられず、その機会も奪われた子供時代を過ごしてきた人間は成功体験をしていません。何かを成し遂げる喜びや達成感を知らないのです。
愛を知らないから愛せないし、信頼もしません。それゆえに人に対しても自分に対しても誠実ではなくなるのです。
誰かを信じたくても裏切られるのが怖いから、誰も心の中に入れません。
そして希望がどういうものか知りません。これまでの人生で”希望”というものを見たことも感じたこともないからです。
もしかしたら初めは希望は彼らの中にも存在していたかもしれませんが粉々に打ち砕かれてその存在を見失っている、なかったことにしているのかもしれません。
希望の代わりに絶望を手に入れて。
アンディの姿に投影される闇
アンディとレッドやブルックスを始めとする囚人たちのバックグラウンドの違いが、希望を持ち続けるアンディの姿に暗示されています。
囚人たちの持つ闇がアンディの存在を際立たせているのです。
そしてアンディの姿はまるで鏡のように社会的な格差、貧困、虐待、差別、マイノリティに対する迫害など社会の持つ大きな闇の部分が囚人たちのような存在を作り出していることを映し出してもいるのかもしれません。
「希望を持ち続ける素晴らしさ」の陰に隠されたこの底知れぬ闇の深さを実感した時、この映画の真の価値が見えてきます。
”刑務所で流された音楽”が意味するもの
アンディがスピーカーで刑務所中に流したモーツァルト。美しいアリアに我を忘れたように作業の手を止め、聴き入る囚人たち。
レッドは心が震え、ひと時ではあるものの刑務所ではないかのような自由な気分を味わったと語ります。
曲名も知らず、聴いたことのない音楽に心奪われる。これはレッドたち囚人にとって大きな意味を持ちます。
音楽が与えた”希望”
希望を知らないレッドは初めて音楽がもたらした希望を目の当たりにし、その正体はわからないまでもそのあまりの美しさ、眩しさに我を忘れたのです。
音楽に対してレッドが語った言葉、それはレッドが初めて触れた希望に感じたこと。
希望とはそれほどまでに人を魅了し、心を解放してくれるものだということを体感したのです。
ですがレッド自身はその音楽がもたらしたものが希望であるとは気づいていません。
一筋の光のようなものを感じながら、それが何かはわからずに「希望はここでは不要」だと語るのです。
存在してはならない”存在”
刑務所は本来は罪を犯した人が罪を償い、更生する場所です。
外の世界に比べると自由は極端に少なく、自分で何かを選択するということはほとんどできません。
決められたことを決められたとおりに行い、そこには常に監視の目があります。
囚人同士のいじめや、刑務官からの理不尽な懲罰や暴力も罷り通る場所です。