病に倒れたウィリアムが口にした、妻を愛せなかった後悔。
二人の後悔すら重なり合うような暗示がここでされていたのではないでしょうか。
スティーブンスに「感情」はあるか
常に冷静で感情を決して表に出さないように努めるスティーブンスですが、彼に感情はないのでしょうか?
確かに、彼は「嬉しい」や「悲しい」といったことを発言しませんし、手を叩いて笑ったり、涙を流す場面もありません。
時には冷酷とも思える対応をしたり、相手をおもんばかれないような強烈な皮肉を言ってみたりすることもあります。
終始、およそ人の気持ちに鈍感な様子が見られるのですが、実際にはケントンを思い出して切ない表情をする瞬間がありました。
また父親の死後は「顔色が悪いぞ」とカーディナルに心配されるなど、決して感情がないわけではない、ということが描かれています。
表情のわずかな変化から読み取れるスティーブンスの感情
スティーブンスは感情が読み取れる表情や表現をしませんが、彼の感情や心情をはかるいくつかのヒントを探してみましょう。
ここでは「表情」に注目して、スティーブンスの心情に迫ります。
「笑顔」は照れや動揺を隠すため?
リジーの可愛さに照れているのでは?とケントンにからかわれた際、彼は作り笑顔でそれを否定しました。
また、ケントンが出ていくときにも作り笑顔で祝福をしているように見えます。
ケントンに「それだけ?」と迫られても、その微妙な笑顔が崩れませんでした。
そして20年ぶりに再会した際も、会話のはじめは笑顔から入っています。
スティーブンスは照れや動揺を隠す時に作り笑顔が出てくるのではないでしょうか。
感情を表に出さない執事としてのスティーブンスが持つ、豊かな感情を想像させます。
またケントンの勤務姿勢について意見の応酬となったときも作り笑顔ではなかったでしょうか。
もしかしたら、この時からスティーブンスはケントンに惹かれ始めていたのかもしれませんね。
「顔色が悪いぞ」とカーディナルに心配されるシーン
カーディナルに顔色が悪いと心配されるシーンが2回も出てきます。
ウィリアムが亡くなった時、そしてケントンに結婚・退職を告げられた直後です。
新聞記者となるカーディナルは鋭い観察力があったのでしょう。
確かに無表情ではなく憔悴が見られる、目元が疲れているような表情に見えるのです。
このような「変化」が出てしまうほど、父親やケントンへの愛情が深かったことがわかるシーンではないでしょうか。
「後悔」が垣間見える表情とは
ルイス卿のもとでの勤務中や旅の途中、ケントンのことを思い出す描写が何度かありました。
その時の表情は、少し口が開き、どこか遠くを見ているような顔です。
彼はケントンを引き留めなかったことを20年もの間後悔しており、彼女を思い出すたびに心が揺れるのでしょう。
無表情というよりは少しうつろで切ない表情が、彼の「後悔」を表しているのです。
ラストシーンが暗示するスティーブンスの人生
ケントンの再雇用は、彼女の孫の誕生により夢と終わり、長年の通わぬ愛が幕を閉じました。
ラストシーン、屋敷に迷い込んだ鳩は何を象徴しているのでしょうか。
自らの手で鳩を逃してやった後のスティーブンスの視線や屋敷全体の寂しげな描写。
「執事」であるがゆえに実現できなかった「自由」や「選択」、そして自分の前からいなくなった「ケントン」を暗示しているのだと考えられます。
まさにスティーブンスの置かれた状況とを対比する、重要なシーンだったのです。
そしてカメラが最後に映し出すダーリントン・ホールが、まさにスティーブンスの「居場所」である、ということ。
ここで執事として尽くしていく彼の人生そのものを象徴しているのです。
「執事」としての職務や紳士らしさを全うしようとするスティーブンスと、その役柄を少ないセリフや表情で見事に演じたアンソニー・ホプキンス。
彼らを通して人生や愛情について深い考察をもたらしてくれる『日の名残り』は、まさに名作といえるのではないでしょうか。