しかしコララインにとっては、なくてはならない必要な仲間でした。
偏見の目を捨てること
黒猫は真の仲間であり、コララインを助ける存在でありました。
同様に同じマンションに住む変わり者の住人達も、コララインにヒントを授けます。
これは「人生を生きぬくヒントをもらうこと」のメタファーなのではないでしょうか。
偏見の目を持たずに、多くの人の意見に耳を傾けることが大切です。
児童作品なのに怖い
本作は児童作品ではありますが、独特の恐怖感と切なさが見所です。
子供の心に残る恐怖
「コララインとボタンの魔女」は、子供に見せて良いものか否かと意見が分かれています。
というのも、子供には怖すぎる映画と思われているからです。
確かに別のママが魔女に変身するシーンは、母親が何よりも大好きな子供にとってトラウマになるかもしれません。
当然、親の判断になる所です。
しかし子供にとって「甘い言葉についていかない」という、強い教えになることは間違いありません。
作品の本当の怖さが理解できる年齢
監督であるヘンリー・セリックは、児童作品=明るいものでなくてもいいと考えています。
映画の持つ本当の怖さを理解できるなら、子供に見せてもいいのではないでしょうか。
しかし絵が怖いだけの年齢なら、見せない方が良いのかもしれません。
そして、この映画に隠されている「切なさ」を理解するのは、大人になってからかもしれませんね。
長く愛される作品とは、時代を経て見返したくなる作品なのでしょう。
ボタンの目が感情を豊かにする
ボタンの目は本作品の「恐怖」のひとつです。
ボタンの目になることはすなわち、魔女の操り人形になることを意味しています。
異世界のボタンをつけられた人物達は、考えていることが読めず時にぞっとする表情を浮かべるのです。
しかし、見方を変えるとボタンの目は観る者の想像力を駆り立てます。
同じシーンで同じ人物を観ていても「悲しんでいる」「喜んでいる」と、個々の意見は分かれるでしょう。
変らないボタンの目の中に喜びや、恐怖や怒りを想像しているのです。
遠いようで身近なストーリーの映画
「コララインとボタンの魔女」は、ストップモーションの魅力を生かしたファンタジーな世界が魅力的です。
しかし、どこにでもあるような家族の関係、子供の心理を巧みに描き親近感の湧く映画になっています。
それゆえに、引きずり込まれるような恐怖感に襲われるのでしょう。
背筋がぞくぞくとするような、切ない恐怖が癖になる映画です。