その言葉とは、この一言。
「この吉原に桜が咲いたら、出ていくつもりでありんす」
引用元:さくらん 配給会社:アスミック・エース エンタテインメント
この言葉を倉之助は「吉原に桜が咲いたら、結婚する」という意味で捉えてしまいました。
このような前向きな返答だと捉えてしまったのです。
ではこの言葉、一体どのような意味が隠されていたのでしょうか?
日暮の言葉に隠された真意とは
この言葉に隠されたのは、「清次への想い」です。
これには、幼い頃の日暮と清次の思い出が関係しています。
幼き頃の日暮は、吉原にいることが嫌で何度も逃亡していました。その度に、男衆である清次に連れ戻されていたのです。
その時に清次が幼き日暮に言ったのが次の言葉でした。
「この桜が咲いたら、お前をここから連れ出してやる」
引用元:さくらん 配給会社:アスミック・エース エンタテインメント
おそらく、清次もいつかは吉原を去ろうと思っていたのでしょう。
その時に、ひぐらしも一緒に連れて行ってやる。そんな思いが込められた一言だったに違いありません。
日暮は、倉之助に求婚された時にこの言葉を思い出しました。
そして、この言葉を信じているという思いを込めて求婚を断ったのでした。
進んでいく身請けに逃げるしかなかった
この清次の言った言葉を倉之助が知るはずもありません。
日暮の本当の言葉の意味は誰にも知られないまま、倉之助との身請けが進んでいくのです。
周りの人々は、日暮と倉之助の身請けの話を嬉しく思っていました。
それもそのはずです。隠された日暮の思いなど知るはずもありませんから…。
そんな思いを隠し持っていた日暮は、しげじが見た夢のように逃げることを決めたのです。
幼き頃は、1人で逃亡していました。しかし、今度は愛しい清次が一緒です。
日暮はもう、何も怖くありません。そして2人には迷いも後悔もなかったのです。
清次が桜蘭を継がない理由とは?
清次が生まれた場所
後に日暮と駆け落ちする清次ですが、そんな彼もお店の身内との結婚を決められていたのでした。
しかし、店を継ぐ気のない清次は結婚にも前向きになれません。
清次は、以前玉菊屋で働いていた遊女の子供だったのです。
生まれてからずっと、吉原の世界で育ちました。遊女から生まれた自分は父親が誰なのかもわかりません。
そんな自分に存在価値が見つけられなかったのではないでしょうか。
吉原がどのような世界かは、生まれ育った清次自身が1番よくわかっています。
だからこそ、この玉菊屋を継ぎたくなかったのでしょう。
大人になってまでずっとこの世界にいたくはないのです。
ではなぜ清次は、生まれ育った故郷ともいえる吉原を好きになれなかったのでしょうか。
清次はこの世界を離れたかった?
清次は、生まれてからずっと吉原で女の世界を見てきました。
その中で見たものは、女の醜い嫉妬に狂う姿です。客を取るのが嫌で騒ぐ女。さらには、幼き頃の日暮のように売られてきた子どもの辛さ。
このような辛いことをたくさん見てきたのです。
吉原の人間は、遊女を商品として扱うのですが清次は違いました。