ゆえに天塩や備後たち、そして観客にとってのデラ富樫像は、そのまま村田の演技となります。
そこに現れる、実弾の銃を構えた本物のデラ富樫。
対峙する両者の構図は、虚構とリアルの対立に置き換えることができます。
リアルに打ち勝つ虚構
絶体絶命のピンチと思いきや、村田はなんと芝居と指鉄砲でデラを追い払ってしまいました。
しかしもちろん、ただの指鉄砲だけで殺し屋を撃退したわけではありません。
長年映画界に身を置いてきた村田は、その人柄が特機部や発破技師たちから愛されていました。
そのため、彼らとの息はぴったり。
映画は役者ひとりの力では成しえません。スタッフたちとの連携があってこそ、はじめて成り立つものです。
このデラ富樫撃退シーンは、まさしく映画をつくるチームの力が発揮されているもの。
村田というひとりの役者だけではなく、映画という虚構が、リアルに打ち勝った瞬間だったのです。
村田は本当に“にせもの”か?
妻夫木聡演じる備後に騙され、デラ富樫を演じることになった村田。
監督を名乗る備後ですが、当然映画撮影はデタラメ。しっかりした設定や台本は用意されていません。
そのため、村田は自分の感性のままに伝説の殺し屋を演じることになりました。
そんな彼の芝居は大げさながらも、連れてきた備後にまで本物の殺し屋かと錯覚させています。
村田=デラ富樫に一目を置いたギャングたちや、心を解きほぐされた天塩とマリ。窮地を救われた備後。
利用されていたはずの村田が、いつの間にか彼の芝居が周りの人々を翻弄し、動かしていくようになります。
本物、を意味する英単語genuineは、gene=生むという単語を語源としています。
村田が生み出したデラ富樫というキャラクターは、ある意味では実際のデラよりも本物と呼べる存在だったのではないでしょうか。
村田のマジックアワーはいつ?
“マジックアワー”は、実際に写真や映像の世界で使われる撮影用語。
今作では転じて人の人生で最も輝く瞬間として語られています。
誰にでも訪れるというマジックアワー。村田にとって、マジックアワーはいつだったのでしょうか。
考えられるのは芝居、そして裏方や備後たちとのタッグによってデラ富樫を撃退した場面です。
仕掛けの火花や血潮をこれでもかと散らす、爽快感のあるこのシーン。
村田がまさしく輝いている場面といえます。
また、一度は無駄になったと思われた芝居、仕掛けを発揮してピンチを切り抜けるのという流れにも注目。
高瀬允の、一度逃したマジックアワーは再びやって来るまで待てるのだという言葉と重なります。
しかし、村田自身はきっとこのときが自分のマジックアワーだとは考えないでしょう。
何せ彼の目標は、あくまでも本物の映画のスクリーンに自分の姿が映し出されること。