オタクと美少女の恋、それも女性の方からアプローチしてくれるというのはそれ自体既にご都合主義です。
そのご都合主義を決して安っぽく終わらせないようにするには光と色葉に試練を与えないとけません。
そこで完全無欠の象徴だった美女の色葉が記憶喪失となることで安直にしないという配慮が出来ています。
これは色葉もまた何かしらの欠落を抱えた普通の女の子だという相対化にも繋がるのです。
そうした細かい所への目配りをしっかり行うことで二人の恋はより深まる構造になっています。
振り子の法則
そしてもう一つ、一番の真意はやはり光と色葉が真の愛で結ばれるには徹底したどん底が必要ということでしょう。
これを振り子の法則といい、良いことと悪いことは常に表裏一体で同じ力と振れ幅をもって動きます。
だから一度色葉が記憶喪失で主治医の間淵に奪われるという極限の地獄を二人は経験する必要がありました。
そのどん底を見たおかげで最後振り子のようにしてその真逆のハッピーエンドがカタルシスとして輝くのです。
当て馬にされた間淵主治医が可哀想ですが、しかし色葉の記憶喪失という弱みにつけ込んだ人ともいえます。
そのような流れがあってこそ初めて二人が結ばれる結末に説得力が出るのです。
光が経験した様々な恋
また、本作の二人が結ばれるには光自身もまた色々な経験をすることになりました。
例えば高梨から目をつけられたり、純絵から好意を寄せられたり、ありさと高梨の仲介役を任されたり。
そうした様々な友達や仲間の恋にまで絡んだことで恋愛偏差値を上げているのです。
自分の恋だけではなく他者の恋も見ることで自身の恋愛観もまた相対化したのでしょう。
上述した主治医の間淵にも嫉妬するなど割と年相応の男の子としての情けない面も示されています。
そうした様々な経験が光をオタクから一人の男の子、そして男へと成長させているのです。
そこが単なる美女と野獣のオタクの妄想恋物語に終始していない理由ではないでしょうか。
思考は嘘をつくが身体は嘘をつかない
いかがでしたでしょうか?
本作をじっくり考察していくと分かることは「思考は嘘をつくが身体は嘘をつかない」ということです。
光があれだけ頑なに拒んだのに結局色葉と恋仲へなっていったのも身体への素直な反応から来ています。
人間は確かに考える生き物であり、他の動物に比べると幾分理性の発達している生き物です。
しかし、その思考は身体の反応を具現化する後追いであって、思考が身体を遮るものになってはいけません。
つまり、オタクと美少女というのは所詮上っ面の思考によって出来たレッテル貼りに過ぎないのです。
光と色葉の二人はあくまでも自分の身体に正直に生き、様々な現実とぶつかったからこそ結ばれました。
私たちも一度は思考の枠を全て取っ払って身体に嘘をつかず生きてみると良いかも知れません。
そうすることでより新しい道が切り開けることを教えてくれる面白い作品です。