この封筒を捨てるシーンでもう一つ示されているのはアンナの事なかれ主義の極致でしょう。
アンナは夫が逮捕され、次々と訪れる理不尽な現実に絶望しながらも全く抗いません。
それは一見悟った境地を表わしているようでその実は単なる見て見ぬ振りでしかないのです。
もし本当に彼女が夫を心から愛し大切に思うのなら何としてでも無実を証明しようとするでしょう。
或いは夫の真実を知った瞬間に絶望や怒りを受け止め夫を全力で叱り飛ばす位はしています。
そういう自分の身にかかる火の粉を全力で向きあって振り払う努力をアンナは怠ってきたのでしょう。
そんな彼女の酷い生き方がこのシーンへ集約されているのです。
飼い犬を手放した理由
アンナは夫と別れたことで徐々に生活が狂い始めますが、それは飼い犬とて例外ではありません。
彼女は飼い犬のフィンを何と夫に無許可で手放してしまうという行為に及ぶのです。
何故そのようなことをしたのか、あらすじを老いながら見ていきましょう。
フィンは夫に懐いていた
まず一つ目にあくまでも飼い犬のフィンは夫に懐いていたことが挙げられます。
犬はペットの中でも人間に忠実な生き物ですが、その分懐く人とそうでない人の差も激しいのです。
一つ屋根の下に住んでいるからといって家族全員と等しい距離感や仲の良さではないということでしょう。
夫が居なくなった家などフィンにとっては無価値に思われ、だからこそ新しいドッグフードを食べません。
飼い主とペットの間にだって深い愛情や強い絆がなければ成立し得ないとアンナは知ったから手放しました。
世間から拒絶された
このシーンの前にアンナは仕事絡みで盲目のニコラと談笑した後会員制のプールで余暇を過ごしています。
ここでも彼女がずっと続くと思っていた日常は会員証が無効だと冷たく告げられ拒否されるのです。
普段の彼女なら会員証を更新すればいいと気付くはずですが、この時の彼女にはそんな冷静さは残っていません。
だからこそ彼女にとっては自分の数少ない楽しみを奪われ世間に拒絶されたと錯覚したのでしょう。
傍から見れば小さな問題でも、その一つ一つが積み重なった結果彼女は心理的に孤独へ追いやられたのです。
最愛の孫も離れていく
そして一番大きな出来事は上述した最愛の孫ニコラが楽しく遊んでいる様子を見たからではないでしょうか。
ここで彼女は盲目だった彼も自分の手助けを必要としなくなり、自分の世界を作って離れていったのです。
ニコラは決して拒絶していたわけではなく、ごく自然に祖母離れを果たしていったという描かれ方をしています。
その最愛の孫を見て、もう誰も自分を必要としなくなっていることを逃れられない現実として突きつけられました。
それらが全部複合的に絡み合って、彼女は飼い犬を人に譲り渡すことに決めたのではないでしょうか。
クジラの死骸を見に行った意味
飼い犬のフィンを手放すシーンの前に、アンナは海岸に打ち上げられたクジラを見に行きます。
その日は特別な用事があったわけでもなく、ただクジラを見に職場を早退したのです。
切なさや悲しさ、色んな想いが入り交じった彼女の表情は何をいわんとしたのでしょうか?
海岸=死への誘い
まず有名どころのメタファーとしては海岸=死への誘いという、北野武映画などで用いられている手法です。