このエピソードのおかげで「やるせなさが増す」という効果もあったように思います。
ですがそれ以上に「インパール作戦の事を知ってほしい」という原田監督の強い思いがあったのではないかと思われます。
このエピソードを取り上げる事によって、どれだけ愚かな事があったのか、どんな悲劇があったのか、今の社会にどのように教訓にしていけるのか、などを考えさせます。
最上と沖野の勝負
沖野は勝ったのか?
「冤罪をなくす」という点では沖野が勝利しましたが、そこで「沖野の正義が勝った、沖野の正義が正しかった」とはならないのがこの映画の面白い所。
「松倉を野放しにしていいのか?」という疑問が突きつけられます。振り出しに戻った気分です。
「冤罪を作る事」と「殺人鬼を野放しにする事」、どちらがより悪なのか?その答えは示されません。観る人に委ねられます。
「正義」は価値観に「信念」が加わったもののような気がします。
そして正義感が極度に強い人は自分の「正義」が心の支えとなります。
強い支えではあるものの、それが崩れたら立っていられない、生きられない。
『レ・ミゼラブル』のジャベールが「自分の正義」に疑いを持って身を投げてしまったように、正義の為に命をかけてしまう人もいるのでしょう。
最上は由季の為に復讐を果たし落ち着いたかと思いきや、次は親友・丹野の仇を討つ気満々です。
悪者は懲らしめなくてはいけません、それが最上の正義だから。
その正義を貫く為に、またインパール作戦のような無茶をするかもしれません。
それを止められるのは沖野かもしれないけれど、勝ったように見える沖野の方がブレていたりして…。
最上がハーモニカを持っていた意味とは?
難解なストーリーの「検察官の証人」ですが、解明されていないのが最後のハーモニカのシーンです。
”Cry Me A River”
ハーモニカは楽器なので、何かを演奏するためにハーモニカを持っていたという考察は、単純ですが真っ当だと思います。
殺された由季がダイナ・ワシントンが好きで”Cry Me A River”をいつも歌っていました。
この曲は恋愛ソングで、「男性の為に泣かされ続けた女性が別れを告げる」という歌です。
最上と由季は恋愛関係ではないようですが、最上が特別な思いを持っていたという可能性はあります。
由季のことを思いながら”Cry Me A River”を弾いて、思いに浸ろうとしていたのかもしれません。
視聴者に投げかけるための材料
この映画には複数の正義が存在するので、観終わった後にスッキリする映画ではなく、深みに浸るような映画だと思います。
作品のことを「理解した気」になってしまわないように、最後の最後にちゃんと「?」で終わらせるためによくわからないハーモニカを持たせたのではないでしょうか。
「結局最後のあれは何だったの?」と思ってもらいたいのではないかという、制作側の意図が感じられました。