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映画『猿の惑星: 聖戦記(War for the Planet of the Apes)』は猿の惑星リブートシリーズの完結作です。

『猿の惑星: 創世記』『猿の惑星: 新世紀』と続く3部作の集大成に相応しい作品となりました。

監督はマット・リーヴス、主演にアンディ・サーキスを据え様々なSF映画のオマージュを盛り込んでいます。

特に『戦場にかける橋』『地獄の黙示録』は大きな発想の土台になったと作り手が述懐している程です。

物語は猿たちに焦点を当て、猿のリーダーであるシーザーの復讐譚という独自性の強い内容でした。

長きに渡って行われてきた人間と猿の戦いが果たしてどんな所に着地するのか目が離せません。

本稿ではシーザーが銃を置き去った意味をネタバレ込みで考察していきましょう。

また、彼が傷を隠した理由や大佐が上官とも戦っていた理由も併せて読み解いていきます。

猿の惑星版『地獄の黙示録』

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本作はシリーズ完結作なのですが、作風としては猿の惑星版『地獄の黙示録』という感じでしょうか。

猿と人間の争いを基軸にしつつ、シーザーと大佐を通してどちらが正しいのかを決着つけています。

「グレートウォー」と読みますが、これは戦いの規模ではなく「」を表わしたものでしょう。

物語開始の時点で人類と猿、どちらが相応しいかという結末自体はもう決まっているのです。

ただし、それを数の多寡や類型的な戦いではなくより内面のドラマで見せる必要があります。

その骨太なドラマこそが本作の主眼であり、シーザーは凄く立派な人格を持った猿です。

そのシーザーの復讐心が果たして人類と猿の戦いにどのような影響をもたらすかを見ていきます。

シーザーが銃を置き去った意味

模造銃(装飾品) 1095 メアズレグライフル USA 1892年

終盤でシーザーは自身の家族を殺した大佐の元へ向かい、復讐しにかかります。

しかし、何故か言葉を話せなくなった大佐を見て無言で銃を置き、去って行きました。

ここではその意味を読み解いていきましょう。

もののあはれ

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まず1番にあったのは「もののあはれ」とでもいうべき憐憫の情ではないでしょうか。

せっかく復讐心を宿して対峙したにも関わらず、大佐はウイルスに侵されていたのです。

更に自分を殺してくれとまで懇願しており、すっかり戦意喪失していました。

自分が復讐しようと思った相手がこんな見苦しい主張をするとは思わなかったのでしょう。

だからこそ殺すのが忍びなくなり、殺すに殺せなくなってしまったのです。

同じ穴の狢になりたくない

同じ穴の狢

2つ目にシーザーが大佐と同じ穴の狢になりたくないことを意味しています。

復讐心で暴走していたシーザーは猿が憎いから殺しまくる大佐の映し鏡です。

つまりシーザーが完全に暗黒面に陥った姿が大佐であるとここで気付きます。

もしここで私情に駆られて殺してしまえば大佐と同じことになってしまうのです。

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