清の言う通りにならなければ暴力は当たり前。これは兄嫁が居る前でも行います。
清の自分勝手さで伸子は思考無しで動くようになり、保は弱音を吐けず、物事に対して鈍感になる。
そして稔は清に悪く言われ続けて精神が狂い、やがては人の痛みを理解できない人間となってしまいます。
家庭の未来は両親の手次第
ここで話題に挙げるのは保と稔です。
保に関しては父から期待されすぎて弱音を吐けなくなり、結婚して嫁にもリストラにあったことを話せませんでした。
自分の子供の顔や頭辺りに傷が付いた時の話でも、騒ぐ嫁に「大げさ」と言っています。
この場面からは葛城家の日常に近い場面なのではないでしょうか。
また、稔に関しては清による罵倒などによって心を塞ぎ込み、保以上に酷い有様です。
無差別殺人で被害者たちに謝罪もしない旨の発言があったことから、両親の手によってサイコパスが生まれてしまった証でしょう。
悲劇はいつ起きてもおかしくないものである
稔の死刑執行前、彼は順子に自分が起こした事件は事故だと語りました。
彼がそのように言った理由としては、「誰でも良かった」と語る加害者の家庭環境は悪い可能性があるということではないでしょうか。
被害に遭った人から見れば、加害者の背景は分かりません。家庭環境は子供ではどうにもできず、改悪や改善も全て親の思うがままです。
悪い家庭環境で育った子供が成人し、溜まった鬱憤は全て他人を壊して回る。
自分の存在は親の悪い教育の産物であり、事故だと言っているのではないでしょうか。
無自覚な悪意ほど質の悪いものはない
この作品の感じ方にもよりますが、清は無自覚で人を傷つけています。
一番の被害者は加害者にもなってしまった妻の伸子で、次に息子の保と稔。
後は彼に関わる人たちと、深い関わりであればあるほど傷の深さに違いがあります。
物語最初に彼が自分を追いかけたマスコミを「正義面」と言っている部分は正にブーメランです。
まとめ
ある事件をモチーフにし、加害者家族を焦点にあてた『葛城事件』。
この映画では全ての引き金は父の清にあるように見えますが、現実ではそうとは限りません。
自分の身の周りでは起きていないと否定できない部分がもどかしく、見ていて辛く感じる作品です。
家庭を持っている方は、この作品を反面教師として見てみるのはいかがでしょうか。