始めこそ雄一に稼いだ一万円札を足で踏みにじって見せる津田でしたが、やがて援助交際を仕事というようになってしまいました。

彼女の心の中にはポッカリと不気味な黒い穴が開いてしまったことでしょう。

彼女は最後の救いを雄一に求めますが、久野のことで頭が一杯の雄一には彼女の苦悩の叫びがとどきませんでした。

彼女は最後まで一人の女の子のままで死んでいったのです。

久野が頭を坊主にしたわけ

久野は津田と同じ目に遭わされながら別の選択をしました。

頭を坊主にして女の子であることを捨て、人として生きることを選んだのです。

久野が津田よりも強かったかどうかはわかりません。ただ別の選択をしただけなのではないでしょうか。

二人の選択の違いを第三者が云々するべきではないのです。

フィリアと青猫

青リンゴ

フィリアは雄一で、青猫は星野でした。

雄一と星野は最後までお互いのネット上での存在を知らなかったはずです。

それぞれフィリア、青猫としてリアルな世界とは全く違う交流を持ち続けました。

どちらが本当の自分だったのかと問うのは愚問でしょう。どちらも自分であり、自分でなかったというのが近いのではないでしょうか。

エーテルとは

エーテル

この物語では何度もエーテルについて語られます。

エーテルを具体的に定義することはこの物語を理解する上でさほど重要ではありません。

リリイの世界全体を包むぼんやりとした雰囲気的な理解で構わないのではないでしょうか。

この物語ではリリイやドビッシーの音楽というエーテルが、言葉では説明しきれない少年・少女たちの思いを受け止めています。

もちろん、それは音楽でなくても絵画や演劇などが持つエーテルでもいいのです。

この物語では言葉以上の何物かの存在がエーテルとして人のより所となることの可能性を感じさせます。

映画【リリイ・シュシュのすべて】は一つのIF

リリイ・シュシュのすべて( 角川文庫)ペーパーバック文庫
映画【リリイ・シュシュのすべて】は、もしかしたらという一つの物語です。

これほど極端ではなくとも、もしかしたら多くの人の思春期にもこのようなことが起こりえたのではないでしょうか。

誰しももう一人の星野であったり、雄一であったり、久野であったり、津田であったりした可能性があるのです。

さて、雄一や久野はこれからどのような大人になって、どのような人生を歩んでいくことになるのでしょうか。

大人になった雄一や久野の視点でもう一つ別の物語が生まれることを期待したいものです。