あるいは死にかけたサトシがピカチュウの鳴き声を喋っているように錯覚したのかもしれません。
死の間際の奇跡
もう一つの可能性が、サトシの死の瞬間に二人の心が完全に通じ合った可能性です。
死がどういうものかは誰にもわかりません。
だからこそ、絶対にありえないとされる奇跡が起こる可能性もゼロではないでしょう。
ピカチュウは実際に「ピカピカ」という鳴き声でサトシと会話していました。
サトシは死の瞬間に、鳴き声が人間の言葉として理解できるほどピカチュウと心が通じ合ったのです。
これはお互いに強い絆で結ばれている二人だからこそ起こった奇跡でした。
作品の中での死
サトシの死と復活を考察する前に、本作において描かれる「死」について考察してみます。
サトシの仲間であるソウジは仲良しだったレントラーを失った過去がありました。
これは死という暗い雰囲気からかけ離れたポケモンの世界では、かなりショッキングな描写です。
このことからポケモンも死ぬこと、さらにいえば本作の世界にも「死」は現実と同じく存在することが示されています。
マサラタウンからの旅立ちの日にサトシとピカチュウは死にかけます。
運よく助かりましたが一歩間違えば二人とも死んでいました。
やがて作中で度々示されていた「死」がサトシの身に襲い掛かります。
サトシの死亡と復活が示す意味
サトシの死亡と復活は何を意味していたのでしょうか。
生き物は必ず死ぬ
サトシの死亡が意味するものは「生き物は必ず死ぬ」ということです。
ポケモンのアニメはバトルや冒険を描いていますが、敗北はあっても死を感じる描写はほとんどありません。
しかし人間もポケモンも生き物である以上は必ず死ぬのです。
元々ポケモンはゲームから展開が始まりました。ゲームはキャラクターの体力がゼロになっても簡単に復活できます。
見方を変えればプレイする人間にとって、キャラクターに命の重さなど無いに等しいでしょう。
だからこそ観客は、ポケモンのどこかで死を軽く考えている部分があるのではないでしょうか。
しかし多数の子どもが観に来る映画では、死という当たり前のことを子どもに伝えたいスタッフの意図があったと考えられます。
子どもが観るからこそ娯楽の中に現実の要素が必要だったのです。
強い思いは死なない
一方でサトシの復活が示す意味ですが、人間の強い思いは死なないという比喩だと考えられます。