出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B000NN766A/?tag=cinema-notes-22
この作品は1959年製作のアメリカ映画ですが、その後最近になって総天然色版も公開されました。
「史上最低の映画」などと不名誉な称号が与えられたこともあるこの作品。
セットの出来や俳優の演技力・観る人たちへのメッセージ性など、いわば通常の映画が目指す方向性は度外視しましょう。
そうして鑑賞してこそ、その真の価値を味わうことができます。
つじつまの合わない設定や映像にこだわってはいけません。
それらのシーンが持つ本質的な意味を想像力豊かにイメージして鑑賞しましょう。
一見つまらなさそうなシーンの中にも現代の多くの映画作品に繋がる部分を発見することができるはずです。
それぞれの勘違い
この作品では外宇宙からやってきた宇宙人も、それに遭遇した地球人もそれぞれ勘違いをしています。
異文明同士のコミュニケーションの難しさがそこにはあるのです。
理解し合えないことは、ことほどさようにお互い不幸で、不必要な争いを生むものなのでしょう。
宇宙人の勘違い
地球人も宇宙人の一部なのですから、当然自分たちの説得が理解されると信じ切っていたのです。
その正義とは地球人の危険なテクノロジーが宇宙全体に甚大な被害をもたらさないように手を尽くすことだといえます。
ここに2つの勘違いがあるのです。
まず、地球人のテクノロジーは太陽を爆発させるほど進んだものではありません。
もう1つの勘違いは地球人の宇宙的グローバリズムの欠如です。地球人は宇宙人が考えるほどは未知との遭遇に免疫力がなかったのです。
地球人の勘違い
地球人の方も重大な勘違いをしてしまいました。
何より宇宙人の来訪を攻撃目的と即座に理解してしまったことです。
攻撃は最大の防御という論理で、いきなりUFOを攻撃してしまいました。
冷静に考えてみれば愚かな勘違いですが、異文明と触れあうことの恐怖感はそれほど大きいのではないでしょうか。
誤解は解消できないのか
宇宙人とではなくても、文化的背景が全く異なるもの同士のコミュニケーションは難しいものです。
自分の恐怖感をごまかすためにやたらと攻撃的な態度を取ってしまうことは十分にあり得ます。
やはり失敗の経験から学んでいくしかないのでしょうか。
冒頭のナレーションで未来に警告する場面がありますが、これは互いの勘違いが生む不幸を未来の人類に戒めているとも解釈できます。