1927年の映画『シカゴ』は、殺人を犯したロキシーにハッピーエンドを迎えさせるわけにはいかないということで結末を変更しました。
裁判後ロキシーは夫のエイモスに家を追い出され、エイモスは彼を慕っていたメイドと結ばれるという結末になっています。
1942年の映画『ロキシー・ハート』でも物語の筋が変更されています。
ロキシーは無実の罪で捕まってしまったことに変更され、疑惑を晴らしたロキシーはハッピーエンドを迎えられました。
このふたつの映画に共通するのは、物語が「勧善懲悪」にのっとったストーリーに変更されてしまったということです。
ハリウッドのお約束
ハリウッドで制作される映画は、守らなければならない倫理や道徳があります。
それは映画の初期は暗黙の了解として業界が守っていたものでした。
しかし、1929年に映画が遵守すべき倫理を明文化し、自主規制を強化する動きが起こりました。
その後「ヘイズ・コード」と呼ばれるものが発足します。
映画が道徳的に非難されたないために、映画人が積極的に守るべきものとしてこの制度ができました。
ヘイズ・コード
「ヘイズ・コード」を簡単に一言であらわすと、「子どもが真似したり憧れを抱いたりしたらダメなものをなるべく映画にださないようにする」です。
卑猥な言葉、性的なこと、犯罪行為など、その禁止事項は多岐にわたります。
興味のある人は「ヘイズ・コード」で検索して調べてみてくださいね。
「こんな自主規制守ったら映画撮れないじゃん!」と思うかもしれません。
この時代は禁酒法が制定されたり大恐慌があったりした時代です。社会全体が禁欲的であることを要請される時代だったのです。
ヘイズ・コードの発足は『シカゴ』と『ロキシー・ハート』が制作される前後のことです。少なからず影響があったと思われます。
悪者のハッピーエンドはダメ
結局ヘイズ・コードは有効に機能することがほとんどなく、30年ほどで廃止されます。
しかし、ヘイズ・コードのかわりに映画界が導入したのが現在のレイティング・システムです。
ハリウッドは、正義は良いもの悪行は悪いものとして扱い、悪いことをしたら必ず報いを受けると映画を通して伝えるよう求められるのです。
この「勧善懲悪」の概念は、ハリウッドの根底に流れる重要なものです。
ハリウッドは映画が倫理と道徳に反するものであってはならないという信念を基本的に(もちろん例外はありますが)もっています。
このようなわけで、映画となったロキシーとヴェルマの物語はハリウッドによって改変されてしまったのですね。
悪者の魅力
「悪者を魅力的に映画にしてはいけない」という制約は、裏を返すと人々は悪者のストーリーが大好きだということです。
悪者たちは、人々への影響が懸念されるほどの人気をしばしば集めてきました。
実在の犯罪者ボニーとクライドの事件に人々が熱狂したのもそうですし、現在でも犯罪者のファンクラブが立ち上げられることがあります。
私たちはヒーローの物語とおなじくらい、ヴィランの物語が好きなのです。
それは理屈ではなく、根源的な好みと言えます。