人間の創造は神の御業であると聖書には記されています。
また新しい惑星に到着し、船から人間が出てくるという描写。
これはまさしく旧約聖書の「ノアの箱舟」をもとにしたといえるでしょう。
ジムの行動は悪か?登場人物の立場から考察
1年の孤独に耐えきることができず死ぬことも恐ろしい、そんな極限の状況のなかでジムがとった行動。
その行動を一概に悪と言い切ることはできるのでしょうか。
ここではそれぞれの立場からジムのとった行動について考察していきます。
ジムの立場から
ジムの立場からみても彼の行動は悪ではあります。しかし確かに理解できるものでもあります。
ジムもオーロラを目覚めさせるかどうか、自らの苦しみと倫理を天秤にかけて、悩みに悩みました。
ジムが1年間孤独に過ごす様を見ると、観客もジムに対して確かな共感を感じることでしょう。
彼の服装や行動はどんどんとやつれていき、死のうと試みるも失敗します。
そんなときにオーロラと出逢ってしまった彼を、果たして断罪することはできるでしょうか。
ジム役であるクリス・プラットの演技は、人間としての弱さと弱さと戦おうとする倫理観をしっかりと表現しています。
オーロラの立場から
オーロラの立場からみたら、ジムの行動は完全に悪といえるでしょう。
オーロラは何の理由もなく、ただジムに好かれてしまったために、新しい星での暮らしができなくなりました。
オーロラは、ジムが自分を起こした行動を「人生の殺人」と表現します。
ジムを殺害しようとします。
しかし自らの倫理やジムを殺してしまうと自分が死ぬまで孤独になるのではという恐れから殺害を諦めます。
ここでも、人間としての倫理と孤独への恐れという人間の弱さをジムと同様描いています。
ガスの立場から
ガスはジムに対して厳しい言葉をかける一方、ジムに対して一定の理解もみせます。
ガスは第三者的立場であり、観客と同じ立場からジムとオーロラについてみているといえるでしょう。
第三者的な立場からだと、ジムの行動も理解できるが、やはりオーロラの許せない気持ちもわかるのです。
作品に隠されたジェンダー問題
“オーロラ”の名前はあの名作からきている?
オーロラという名前、美女が眠りから目覚めるというシチュエーション。
以上の二つの要素から、まず思い浮かぶのは『眠れる森の美女』ではないでしょうか。
近年ジェンダー問題の観点から、ディズニーの『眠れる森の美女』や『白雪姫』などが扱わることがあります。
その中でもこの2作は「強姦神話」と取りざたされることがあります。
「強姦神話」とは強姦の被害者と加害者に対しての誤った、偏向している認識、のことです。