それ故に逆にいえることは周囲で起きていることの恐ろしさを観客に想像させゾンダーコマンドの共有体験をさせる効果を発揮しています。
具体的な遺体の山などの残虐性を排除できる映像効果も当然得ることが出来ています。
しかもキャメラは手持ちで落ち着きを無くし、観客に「息が詰まる」感覚を上手く引き出すことに成功しているのです。
ラースロー監督は、残虐な光景を収めるキャメラに対し正統な工夫で攻める形を借りて実はあからさまに見せる以上の効果を生み出しました。
サウルが収容所から脱出し、こどもの遺体を抱えて川を渡るシーンも、どうやって撮っているのだろう、と思わせます。
長回しの中で繰り広げられるアップの映像は非常に多弁。脚本も書いたラースロー監督の見事な演出といえるでしょう。
サウルと少年の遺体
映画が動き出す
ゾンダーコマンドとして黙々と日々の仕事をこなすサウルのもとに、一人の少年の遺体が送られてきました。
少年はガス室に送り込まれたものの、多くの遺体と共に搬出された時は息がある状況でした。
しかしナチスの将校に口を塞がれトドメをさされてしまうのです。
サウルはそれをはぐれてしまった自分の息子の遺体だと信じて疑いません。この少年は本当にサウルの息子なのでしょうか?
彼は収容所の中から、次々と到着するユダヤ人の中から葬儀を司るラビ(キリスト教の牧師、神父に相当)を必死で探します。
サウルはまるでとりつかれたようにラビによる葬儀と少年の埋葬の道を探ります。この辺りから物語が動き始めます。
増えるユダヤ人、収容所は満杯に
残虐性を増すナチス
第二次世界大戦欧州戦線でハンガリーはドイツに占領され、ナチに協力して自国の50万人ともいわれるユダヤ人を強制収容所に送り込みました。
本作で描かれる1944年のアウシュビッツにおいて、次々と送り込まれるユダヤ人で収容所は満杯。ガス室の処理では限界を迎えていました。
そこでナチは、連行してきたユダヤ人を森の中へ連れていき銃撃して射殺、その場で穴に埋め火炎放射器で焼くという狂気の行為に出ます。
映画はこの狂気のシーンもゾンダーコマンドらの視点・視線で捉えていきます。
彼らは自らなすべき道を失ってしまったのでしょうか。いや、そうではないのです。ユダヤ人とて絶望の中、考えることはありました。
ゾンダーコマンドの反逆
生きる希望を求めて
ゾンダーコマンドも、更新されるように殺されては新しい囚人が充てがわれていました。彼らは座してこれに甘んじていたわけではありません。
サウルらは密かに火薬を集め、銃を手に入れ反逆の機会を窺います。
そして遂にガス室の前で反乱が起きます。銃で武装したユダヤ人囚人たちは手に入れた銃でドイツ軍と銃撃戦を繰り広げます。
一部は収容所からの脱出に成功したのです。
サウルの行動
サウルは反乱に手を貸し、自分も遺体を背負って収容所を脱出できました。逃亡してからもサウルはラビによる葬儀と埋葬の希望を捨てません。
しかし広い川を渡る時、泳げないサウルは溺れかけてしまいます。