わざわざこんな手の込んだことをする理由を分析していきましょう。

第一の死

まず第一の死は敵の目を欺くために香港へ行ったとき、立ち寄った売春宿で殺されたことです。

ここでの死はいわゆる「偽装」であり、普通であればこんな手の込んだことをしなくてもいいでしょう。

しかし、もし007がそのまま飛行機で日本へ直行したらそれだけであっという間に存在が知られます。

船に乗っての密入国という形を使わなければスペクターや田中の目を掻い潜っての侵入は出来ません。

つまり最初の段階はまず「敵の目から存在を抹消すること」にありました。

第二の死

そして第二の死はやや分かりにくいですが、ボンドガールたるキッシーとの偽装結婚にありました。

しかもその結婚式は「和婚」で、ジェイムズ・ボンドが着物を着た最初で最後の瞬間だったのです。

つまりここでの死は「国籍」の擬似的な死、即ちイギリス人から一時的に日本人へなりすましました。

こうすることで彼は日本の文化の素晴らしさなどを知り、キッシーと愛する仲になれたのです。

つまり本作限定でボンドはイギリス人から日本人へと生まれ変わったことを意味します。

第三の死

そして実はもう一つ、シリーズ全体で見たときに本作は「第三の死」があることが分かります。

即ちショーン・コネリー演じるジェイムズ・ボンドがこの作品をもって最後の登場となったことです。

007シリーズの黎明期にその土台を作り上げられたのは何よりもショーン・コネリーが中心に居たからでした。

本作をもって007シリーズは一つの完成を迎え、同時にコンテンツとして一度終焉を迎えます。

その初期シリーズの集大成ともいうべき本作の舞台が日本であることは何とも興味深い所です。

最後の作品だからこそ

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ここまで考察していくと、本作はショーン・コネリー演じる007シリーズの集大成なのに全然守りに入りません。

最後の作品で集大成にもかかわらず日本という国を舞台にどこまでもキャスティングや撮影などで遊びます。

ここにあるのは守りに入らず攻めの姿勢が大事だという作り手のメッセージではないでしょうか。

何よりそのことは「Bond, James Bond」という決め台詞を名乗っていない所に現われています。

セオリーばかりを重んじて挑戦心を忘れたシリーズは袋小路に陥り自滅への道を辿るのです。

そのことを画面を通して見せつけたからこそ、今日に至るまでシリーズとして存続しているのでしょう。

まとめ

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本作はシリーズ全体としても一個の作品としてもとことんまで「暴走」を極めた作品でしょう。

たかが日本人、されど日本人とどこまでも手を抜くことなく妥協せずやりきりました。

何よりに忍者装束を着たり日本文化を形態模写するジェイムズ・ボンドなど後にも先にも本作のみです。

本作以後の007シリーズは時代の変化や表現の自由など様々な点で規制やお約束が多くなりました。

それが悪いわけではありませんが、一方でこうした実験的な攻撃力は初期シリーズならではの魅力でしょう。

我々も一度は海外に行き、日本人であることを捨てて外国人になってみるのも一興ではないでしょうか。

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