終盤において尚安田は永松が留守にしている間に手榴弾を盗んでしまいます。
そう、永松が田村に不義理を働いたように安田も永松に不義理を働きました。
このように自分が生き残る為ならと醜い争いが起こるのです。
憎くもない人を殺す
2つ目にそういう心理状態に追い込まれると憎くもない人まで殺すようになります。
ラストで田村が永松を恨みもないのに射殺してしまう現象がそうでしょう。
不義理があったとはいえ、殺す程ではなかった永松を自分が生き延びる為に殺さなければなりません。
そうしないと次に死ぬのは自分だから、田村は人肉こそ食わないけれど人を殺すのです。
感覚が麻痺してそういう世界を当たり前だと思ってしまうのではないでしょうか。
野生化
そうした極限状態を突き詰めていくと、冒頭で書いたように行き着く先は野生化です。
敵味方の区別もつかなくなり、憎くもない人を殺すことは野生の動物と化すことでしょう。
闘争本能と欲望のみが残る…一言でまとめれば文字通り餓鬼=餓えた鬼と化します。
理性と知能、言語が発達しても人間だって元々は猿という動物だったのです。
自然の中で自然の暮らしをしていれば野生化していくのはごく自然な流れではないでしょうか。
皮肉にも戦争によってかえって田村たちは本来の猿という動物へ回帰していくのです。
原作及びリメイク版との違い
本作は原作小説並びに2015年のリメイク版と大きく変えているところがあります。
それは前述したカニバリズムの設定・描写であり、原作では田村も人肉を食らいます。
リメイク版の方がどちらかといえば原作小説に準拠したものになっているでしょう。
本作はそのカニバリズムを直接避ける代わりに田村を理性の人として描きました。
そうすることで逆説的に極限状態における人間の心理の異常さが浮き彫りとなったのです。
人間が如何に素晴らしい理性の生き物かを田村を通して訴えたのが本作ではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は戦争文学をテーマにした映画の中でもかなり異色の作風だといえるでしょう。
映画の中で戦争の悲惨さを訴えることは実に難しく、どうしてもフィクション故の限界があります。
そこで本作は「戦争そのもの」ではなく「戦争で生じる極限状態」をテーマに物語を展開しました。
そうすることで人間の極限状態という極めて具体的かつ卑近な所に落とし込んだのです。
今見直しても色褪せない普遍性を帯びた傑作として燦然と輝きを放ち続けています。
戦争になると人間はどうなるのかをまざまざと受け手に突きつけて教えてくれる一作でしょう。