出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B003EVW56E/?tag=cinema-notes-22
最近では、単純作業だけでなく家事、育児、看護などを手伝うさまざまななタイプのロボットの実用化が推進されています。
このことを考えると【A.I.】の作品に描かれている内容は「現実の問題」になり得るという危険性に警鐘を鳴らしているようにも解釈できるほどです。
この記事ではこの物語の核心の部分となるラストシーンにおいてディビッドは救われたのか、この映画の根底にあるテーマである「愛」や「人間の残酷さ」という観点から解説します。
【A.I.】の情報を再確認しよう!
【A.I.】は2001年にスティーヴン・スピルバーグ監督が発表した映画として知られていますが、実は1999年に死去したスタンリー・キューブリック監督の原案がもとに製作されたものなのです。
スティーヴン・スピルバーグ監督はスタンリー・キューブリック監督の遺志を引き継ぐかたちで映画が製作されました。
2人の巨匠が携わった作品だということをストーリーの内容や込められたメッセージからもよく理解することができるはずです。
ディビッドは最後に救われたのか?
主人公は「少年型次世代ロボット」のデイヴィッドですが、彼は「感情」をインプットされ「人を愛すること」をプログラムされた存在でした。
「感情」というものは他人の手で操られるべきものではないはずです。
感情はその持ち主だけが感じることができるものであり、誰の支配も受けないのが本来の姿でなければなりません。
ですがデイビッドは人間によって植え付けられた感情をいつまでも持ち続けていました。
その感情ゆえにデイビッドは遥かな長い時を愛を求めて過ごすことになります。
デイビッドの時間はモニカに捨てられた時点で止まっていました。
仲間と出会い、長い旅をしようともデイビッドにとってはモニカに愛されることだけが価値のあることだったからです。
自分が量産ロボットである、特別な存在ではないと知ったデイビッドは絶望を覚えます。
これは母に愛されない、母の特別な存在になり得なかった子供の姿そのままでしょう。
機能が停止するまで母を乞うたデイビッド。人類が滅亡するほどの長い時を過ごしてもモニカの存在から逃れられないデイビッド。
モニカはもう存在しません。モニカのいない世界ではデイビッドの幸福はありえないのです。
モニカのいない世界で蘇ったデイビッドはより深い絶望を覚えたかもしれませんが、スペシャリストによってモニカのクローンを与えられます。
デイビッドはそれが本当のモニカではないとは理解しながらも、かつて存在したモニカから得られなかった愛情を得ようと楽しい時を過ごします。